たまに映画、展覧会、音楽など。

「ゴーギャン展」(東京国立近代美術館)

ゴーギャン展に行ってきました。


今回彼の最高傑作
『我々は何処からきたのか?
 我々は何者か?
 我々は何処へ行くのか?』
が初来日ということで
「月と六ペンスを卒論でやるんなら、観にいきなよ」と
ゼミの先生にチケットまで渡され……(笑)
まあ、とにかく楽しみにしていたこの展覧会

ゴーギャンはやっぱり色彩感覚が人と違う。
印象派(モネとか)の色使いとは全然違って
彼の作り出す<色>というのは、
<色の本質>だけで作品を描こうとしてるみたい

なんていうんだろう……。

例えば緑
若々しくて、生命の宿った色という常識のなかで
彼の緑は、“自然の闇”。
暗い緑で生命を描こうとする。

きっと同じ森を見ていても違うことを感じた彼は
緑の本質を荒々しい自然を覆い隠すものと見たのかな。


<野蛮>
こんな言葉を何度も使うゴーギャンの作品からは
その言葉通り、
優しさを感じることがほとんどありませんでした。

感じるのは、
野蛮、孤独、闇、神、それから生命。
でもその生命というのもまばゆいものではなくて、
むしろ生き抜こうとする現実にまみれた生命という感じ。


最高傑作は大きくて苦悩に満ちた作品でした。
優しさのかけらもない作品ってやっぱり人を遠ざけるのかな(笑)

とうの昔に死んだゴーギャンが、
この絵を観る私たちに生きていることそのものを問いかけようとしてるみたいで、
何だか、怖かった。

何故生きているのか?
胸をはって答えられる??

絵から疑問を問いかけのはずるい。
答えが見つからずに、その絵に魅入ってしまう。

生まれたときから苦しみが始まり、
最期は朽ち果てる。
そこに希望なんてない〜。

芸術は人に感動を与えるだけじゃない。
裏切って、戸惑わせて突き落とすものだと思う。

でも確かなのは、
彼の描く女性は他のどんな画家よりも生命に満ちていると思う。
かよわさも繊細さもないけれど、力強さを感じる。
たくましい体つきに、黄土色の皮膚。
笑わない顔。
とても力強く、たくましい。

自分をこんな風に描かれたらものすごく怒るだろうけれど、
タヒチの女ってかっこいい。
ちょっと憧れるな。


最高傑作を描いてからも死にきれず絵を描いたゴーギャン
展覧会の最後のほうにあった晩年の作品は、
なんだかあたたかい色彩ばかりでした。

あぁ、ゴーギャンも最期はこんな風に世界を見ていたんだ、
と思うとちょっと救われたような気がしました。