「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」(国立美術館)05
第二章 印象派
4.こんなドレスに触りたい
ピエール=オーギュスト・ルノワール「踊り子」(1874年)
ねぇ、どうこの絵? 可愛いって思う?
ま、あんまり可愛いとは言われないんだけどね。そこがちょっと残念。
そりゃあもちろん、少し恥ずかしかったわよ。
だけど、私は踊りをしているから人に見られるのは平気だし、
きっと素敵に描いてくれると思ってから、我慢してポーズをとったの。
普通はね、こんな風に改まってポーズを決めて絵を描いてもらうことなんてないのよ。
だって、ドガさんはいつも私たちを知らない間に描いちゃってるもの。
ほら、こんな風に。
だけど、ルノワールさんは違うの。
「こっちを振り向く感じで、チュールに手をあてて」
……なんていろんな注文をつけてくるから結構大変。
描かれている間はポーズ変えられないし、
「あんまり息をしないで」って言われたから、
緊張してくたびれちゃった。
だけど完成した絵を観て、嬉しかったの。
だって、可愛く描いてくれてると思わない?
もちろん胸なんてペタンコだし、ほっぺだって子どもっぽく赤くなってるけど、
ハンカチをもつ手と、スカートを押さえてる指先、よ〜く見てみて。
とってもオトナっぽくて、ちょっと照れちゃうくらいきれい。
ま、足はもう少しすらっとしてもらってもよかったのに、ってほんとは思ってるけど。
ま、いいの。今のところはね。
ねぇ、私が一番好きなところはどこだと思う?
ここなの、スカートのチュールの部分。
だって、本物みたいにふわふわしてるでしょ?
実際にね、すっごくふわふわしてるから、くるっと回るとふわぁって広がるの。
ほら。こんな風に。
普通に歩いててもポンポン跳ねちゃうからちょっと気になっちゃうけどね。
このスカートでね、何十人と皆で着て、舞台に立つと、それはそれはきれいなんだから。
ポンポンって白い花が舞っているみたいなのよ。
それに何だか指で触りたくなるのよね、少しザラっとした表面で、すごく軽い。
あ、触ってみたい?
ほら。ね? 指にまとわりつく感じがするでしょ?
ルノワールさんはそれをちゃんと描いてくれてる。
私の顔の形とか、背景とかは結構あらく描いているのに、
このスカートだけはとびっきり丁寧。
だから私、ルノワールさんにこう言ってあげたの。
「これ、なんだか雲みたいね」って。
ルノワールさんは笑って何も言わなかったけど。
あ、そろそろ行かなくちゃ、練習始まっちゃう。
最後に、ルノワールさんの他の絵も見せてあげよっか?
絶対に、絶対に秘密よ。特別なんだから。
ほら、この絵よ。
ねぇねぇ、この女の人、誰だと思う?
私なの。どう?
ふふふ、すっごく大人っぽいと思わない?
そういえば、これも同じようにポーズとり続けて辛かったのよねぇ。
そうなの、気づいた?
さっきの踊り子の絵と、このパリジェンヌの絵は、
たった2年後に発表されたの。
え、あどけない少女みたいなのと、この婦人がほぼ同時期なんておかしいって?
今、私は一体いくつなんだって?
ふふ、どうしてだと思う? だけど、両方とも本当に私なんだからね。
私が女優だからいろんな表情ができる?
……そうかもね。
ルノワールさんが一人のモデルからいくつもの表情を描き出すことができる?
……さぁ、どうでしょう。
ま、どちらにせよ、素敵な絵だからいいじゃないの。
じゃあ、またね。
★アンリエット・アンリオ
パリで端役を演じ活躍した女優。
母子家庭に生まれ、女優としてデビューした後はルノワールの作品の中に多く登場した
(ドガの「ダンス教室」のモデルは彼女ではない)。
アンリオは決してヌードになることはなかったという。
驚くべきことに、当時まだ20歳にも達していなかった。
一生結婚することなく、自分もまた母と同じく父の知れない娘を産んだのはまだ21歳のときだった。
ルノワールの関係については不明。