「青木繁展」(ブリヂストン美術館)美文方程式vol.1
美文方程式vol.1
「間合いをとる」
江國香織と辻一成の2人によって編まれた小説『冷静と情熱のあいだ』。
冷静 < > 情熱
あおいと順正にとって、この“あいだ”には何があったのだろう。
揺れ動く2人の感情、過去と現在の錯綜、ミラノとフィレンツェという舞台――
この小説には、冷静という感情、情熱という感情を思い起こさせる“あいだ”が、
小説のいたるところに(まさに行間に)ちりばめられている。
話は飛んで。
剣道や空手などの武道に「間合い」というものがある。
技量、体格、構え、癖など、様々な要素が絡み合ってその間合いは生まれる。
もちろん相互は常に動き回り、メンタルも変動するため、
間合いも変化し続ける。
絶妙なタイミングで間合いをとることが、勝敗を分ける。
今回は江國も剣道も関係ないのだけれど、この“間(あいだ)”に注目してみたい。
まわりを見渡せば、世の中にはさまざまな二値があふれている。
都会と田舎、天国と地獄、黒と白、生と死、始まりと終わり。
この「と」というたった一語に含まれている“間”。
武道の間合いの話を思い出せば、“間”は決してひとつではないく、
なおかつ常に変化することがわかる。
“間”が複数存在することで、その二値がただの対比ではなく、
さまざまな視点から考えることができる。
たとえば、黒と白で考えてみよう。
黒 < 色 > 白
黒 < 犯人(ホシ)> 白
黒 < パ ン ダ > 白
黒 < 猫の名前 > 白
“間”にいくつもの価値をつけることで、その二値の見方が大きく変わる。
さあ、ここからが本題。
今回、捉えてみたいと思っているのが、
美術 < > 文学
あまりに広すぎるので、
美術=青木繁の絵画/文学=明治期の文学
という制約(レイヤー)を設けることにしたい。
タネを明かすと、実は、
昨日、青木繁展(@ブリジストン美術館)を鑑賞したというのと、
その青木が生きた時代が明治であったから、という理由。
以前、『ムネモシュネ』(マリオ・プラーツ著 高山宏訳 ありな書房)
について、ほんの少しだけ書いたことがあったけれど、
その本の副題が、また思わずソソそられる。
まさに、「文学と視覚芸術との間の平行現象」というのだ。
(『ムネモシュネ』の回はこちらから↓↓
http://d.hatena.ne.jp/puku0427/20110201
あるいは→→http://d.hatena.ne.jp/puku0427/20110201 )
この本は英文化圏の文学と視覚芸術の“間”に迫っている。
今回は、画文の饗宴だったという明治期に舞台を変えてみよう。
明治期は、
与謝野晶子、萩原朔太郎らの文学者と、
藤島武二、竹久夢二、田中恭吉らの画家たちが、雑誌や書物で折り重なっていた時代。
美術と文学が共鳴し、和洋が融合して生まれた雑誌「明星」。
そんな時代に、
青木繁の美術と作家の文学が紡いだ糸は、一体どんな“間”があったのだろう。
美術 <「海の幸」> 文学
美術 <「大つごもり」> 文学
美術 <『それから』> 文学
*美術=青木繁の絵画/文学=明治期の文学
今回はこの3つの“間”を、みてみよう。
美術と文学、この美・文の方程式の解説は次回から。