たまに映画、展覧会、音楽など。

「青木繁展」(ブリヂストン美術館)美文方程式vol.2

美文方程式vol.2 「浜から海をみる」 
           〜美術 <「海の幸」> 文学


舞台は、海から始まる。


目を閉じてみよう。
潮の香りと、打ち寄せる波の音に身体を預けてみよう。
白い波が静かに浜に寄せるその永続的な繰り返しに心を預けてみよう。
足裏の砂粒を感じたら、もう、砂になってしまえばいい。
目を開けたその先には、何が見えるだろう?
青くて深い海? 水平線
よく見れば、それは直線ではなく、曲線を描いている。
そう、地球が「球」だということを思い出させてくれるのは、
この水平線だけかもしれない。


青木繁「海の幸」明治37年(1904年)


どこか、ゴーギャンを思い出さないだろうか。
この野性。男たちの身体をどくどくと駆け巡るこの生命感。
男たちが一糸まとわない姿で銛をもち、サメを背負って2列に歩いている。
ここにあるのは美しさでもなく、勇ましく、他者の命をいただいて生きる人間本来の姿。


絵画 <「海の幸」> 文学

この間合いをとることができるのは、この詩しかない。



蒲原有明 「海の幸」 明治38年(1905年)

**********************
ただ見る、青とはた金の深き調和――
きほへる力はここに潮と湧き、
不壞なるものの足音は天に伝へ、
互に調べあやなし、響き交す。

海部の裔(えい)よ、汝等、頸直ぐに、
勝鬨(かつどき)*高くも空にうちあげつつ、
胸肉張れる姿の忌々しきかな、
「自然」の鞴(たたら)に吹ける褐の素原、

瑠璃なす鱗の宮を厳に飾り、
大綿津見*や今なほ領しぬらむ。
いかしき幸の獲物に心足らふ

汝等見れば、げにもぞ傷宸フ族、

浪うつ荒磯*の濱を生に溢れ、
手に手に精し銛取り、い行き進む。
**********************
(「春鳥集」より)

*注釈
勝鬨:中世の戦(戦争や衝突)などの勝負事で勝ちを収めたときに挙げる鬨の声
大綿津見:「海の神霊」(日本神話で最初に登場するワダツミの神。)
荒磯:波の荒い磯。また、岩石の多い磯。ありそ。


14行のソネットである。

潮、鱗、荒磯で縁取られた海。
青、金、瑠璃で色づいたこの世界は、足音、勝鬨が誇らしげに響き、
海の幸を得た海辺の末裔たちが、心足らんとばかりに進んでいく。

瑠璃色というのは、場所を違えばとても穏やかな色効果を発揮するのに、
ここでは生命感に重みを加える働きをしている。

蒲原有明(明治8年〜昭和27年)は、白馬会に出品されたこの絵をみて感銘を受け、
「海の幸」と題して、彼にオマージュをささげたのである。
蒲原がこの詩を3度にわたって改訂しているのも、
それだけ思い入れが強い作品だという証拠だろう。


足音を鳴らしているのは、サメを背負った男だろうか。
雄たけびをあげているのは、真ん中にいる男だろうか。

翌年の明治38年(1905年)3月、雑誌「明星」にて、
蒲原、石川啄木詩篇とともに、この作品が単色の写真版で印刷されていたという。
「美術と絵画が響き合った場所」である。

しかし、この「海の幸」の饗宴は青木と蒲原だけではない。
ここでもう一人の詩人の名前をあげてみよう。

伊良子 清白(明治10年〜昭和21年)である。


伊良子 清白 「淡路にて」 明治38年(1905年)
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鳴門の子海の幸

魚の腹を胸肉に

おしあてゝ見よ十人

同音にのぼり来る
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この詩が青木繁の作品をモチーフにしているかは確かではないし、
事実、伊良子が東京におとずれてこの絵をみたという事実はどこにもない。
おそらく、雑誌で青木の絵をみて、そこからイメージして創ったものだと考えられている。

「おしあてゝ見よ十人」――そう、確かに青木の作品も10人が歩いている。
(この「十人」という意味は「たくさん」という意味でも捉えることができるが、
ここでは人数として捉えてみる)

「同音」という意味は一斉にという意味だが、
こちらに向かってぞろぞろと歩いてくると青木の作品とどこかイメージがつながる。



ところで、彼らは一体どこに向かっていっているのだろうか。

家路に?  解体作業場に?  船場に?
もちろんここでも複数的に意味を捉えることが可能である。
私は、こんな風に思わざるを得ない。
青木の絵が発表された明治37年(1904年)、それは日露戦争が始まった年。
日本社会の歯車が少しずつ狂い始めたあの時代の向かった先はどこだったのか、
今となっては想像に難くない。

……青木自身も、この作品では高評価を受けたもの、
次第に生活は貧しくなり、友人に借金をすることもあり、
父親の病気で九州に戻ってからは、もう二度と東京の土を踏むことはなかった。
そんな青木の人生と、当時の日本と、海の幸を掲げて歩く男たち。
彼らはどこに向かったのだろう。


浜から海をみたので、次回は海の奥深くへもぐってみます。
どんな景色があるのやら。