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たまに映画、展覧会、音楽など。

華恵 『本を読むわたし』

2011年、出会えて一番嬉しかった本。
『本を読むわたし』 華恵 筑摩書房

「いつも本があった」という華恵さんの、本(物語)についてのエッセイ集。
ひとつひとつの物語にくるまれているような感覚になった。
今夜はその中のひとつについて書こうと思う。
「きつねの話」。

6歳までアメリカで育った華恵さんの知っている絵本に登場するきつねは、
いじわるだったり、喧嘩をしていたり。
「日本のきつねは、温かくてやさしいんだから」と言ったのは、華恵さんのお母さん。
そう、「手ぶくろを買いに」「きつねとぶどう」に出てくるきつねはやさしくて、
それでいて哀しい。
この2つの物語に登場するきつねは、ふわりと物語を包む。

話の内容は改めて書かずともよいだろう。
「手ぶくろを買いに」では、
きつねだと知りながら手ぶくろを売ってくれた人間、
子守唄を歌っている人間の母親をみて、帰りをいそぐきつねの子。
家に帰るなりお母さんきつねに「こんなにあたたかい手ぶくろを売ってくれたよ」――。

「きつねとぶどう」は、お母さんきつねが帰ってこないのが哀しい。
お母さんと住んでいたところには美味しそうなぶどうの木。
そして、
「待っておいで。お母さんがおいしいものをとってきてあげる」と言った最後の会話。
話にはお母さんきつねが猟師に殺されたと書いてはないけれど、そうとわかる物語の空間。
さびしくて、せつない。この本には出てこないけれど「ごんぎつね」も。


人は大人になると、絵本から距離をおいてしまう。
けれどふとしたことをきっかけに、小さい頃の思い出とともに思い出す瞬間がある。
華恵さんのこの本を読んで、わたしも大切な思い出と絵本を思い出した。
「くまのこのやくそく」という絵本。この本も哀しい物語だった。
「やくそくってなあに?」そう問いかける子ぐまと、
「必ずまた帰ってきますから」と言うにわとり。そして母ぐま。

「……毎日寝る前に、きつねの話を読んでもらった。一日のうちでお母さんの声が一番やさしくなる時だ」。
(華恵『本を読むわたし』)

わたしも、よく父に絵本を読んでもらった。寝る前に、布団の中で。
くまのこも白雪姫も人魚姫と親指姫もそこで出会った。
母からは図書館や祖母宅でいろんな本をくれた。
そこで、アンネ・フランクもレイア・マリアと出会った。
わたしも本に包まれて育てられてきたんだなぁ。
まだ何も知らなかった小さい頃のわたしが読んだときの温度そのままが、
今もわたしの心の中にのこっている。
そういう温度が身体の中にある限り、人はやさしさやあたたかさをもつことができる気がする。
少なくとも、温度感がのこっている物語は、わたしの中で生きている、わたしの一部。


電車の中で華恵さんの本を読んでいたら、あまりにせつなくて、涙が出てきた。
わたしはこんなにもすてきな物語に生かされているんだと。
日本にはこんなあったかい物語があるんだと。

それを思い出させてくれた『本を読むわたし』。わたしの大切な一冊。