たまに映画、展覧会、音楽など。

「アントニオ・ロペス展」(Bunkamura)つづき

アントニオ・ロペス展を鑑た。
スペインで活躍中のリアリズム作家。
日本で今流行に極みみある「写実ブーム」だが、いったい写実とは何か?を
問い直す最高の機会を、bunkamuraがつくってくれたと思う。

ロペスの作品は決して写真ではない。
確かに画像で鑑ると、写真のようにリアルに見えるけれど、
本物を鑑るとむしろ、絵っぽさが引き立っている。

リアリズム(写実)って、そもそも何?見たまんまを描くことか?否。
「視覚的な意味で見えた通りに描く表現技法としてのリアリズム」と
「精神的な意味で物事の真実に近づこうとする態度そのものとしてのリアリズム」
があって、その整理をきちんとしないと話は始まらない。
日本の画壇はそこをはき違えている人が多い。
ロペスの描く絵は後者だし、意図的に対象を“変容”させている。
変容させることによってそこに宿る秘密や夢を描いている。
あくまでロペスの絵は主観的だ。
歴史を振り返れば、ベラスケスは現実にそんなふうに解釈は加えない、
だからベラスケスは前者ということになる。
高橋由一のあの鮭は、前者か後者か。そしてそれ以降の日本におけるリアリズムを
いったい誰が整理してきたのか。
今の日本の写実迷走をもう一度見直す鍵はロペスの作品にあるのは間違いない。

こんなことをロペスが言っていた。
「最初に受ける感動を表現する能力は、現実の世界を正確にコピーする技量や正確さとは別物だ」。
見たままではなく、そこに自分のフィクションを盛り込むということ。
むしろ、作品よりもその対象といかに向き合うかが大事だということ。
例えば花なんかは5分後には姿が変化している。どんな花だろうと確実に。
だから植物の一瞬をとらえることはできない。だから画家はそこに向き合って結果得た何かを取り入れる。
それが“変容”である。
みずみずしさを取り入れたり、太陽のまぶしさを取り入れたり、重みを取り入れたり。

絵を鑑るときに、自然とその作品の「色彩」に目が行くけれど、本当に大切なのは、
むしろ、「形」や「ボリューム」そして「対象間にまたがる距離感」。
作品と対象との間をゆっくりと行き来すること、それが絵を鑑るってことなんだと。
旅をする感覚に近いと思う。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lopez.html