たまに映画、展覧会、音楽など。

塩田武士『罪の声』

 

罪の声

罪の声

 

 グリコ森永事件をモデルにした小説である。社長の誘拐や、菓子への毒物混入などの重罪を犯したこの事件は、警視庁による重要指定事件となりつつも、昭和史上唯一の未解決事件でもある。

 

 その事件を扱っただけでも取り上げるべき話題ではあるけれど、この小説の優れたポイントは、主人公が2人いることだと私は思う。一人は、身代金要求の声明が幼かった頃の自分の声と一致することに気付いた、とあるテーラーの店主。彼は、亡き父の友人を訪ね、自分の過去と一家の過去を紐解いていく。そしてもう一人の主人公は、グリコ森永事件の真相を手繰り寄せようとする新聞記者。この2人は事件の対極から調査を開始し、すれ違いそうになりながら、すんでのところで巡り合わず、最終的に2人は出会い、真相を手繰り寄せる。

 2人の調査を合わせることで、少しずつ犯人像や動機が見えてくる展開は、貼り絵が重ねあわされていくかのようだった。ジェットコースターのような疾走感というよりも、緻密な貼り絵作業。私は、面白さというよりも作家の技量に引き込まれていた。

 

 残念ながら私は推理小説などあまり読むほうではないので、その目線からみたこの作品の良さについては書くことができないが、作家のテクニックについては多くの感銘を受けたので書くことができる。

「取材力」(それも過去の紙面や情報などを攫うのはもちろん、現場の描写などがとても細かく、実際に足を運んだことが行間から伝わってくる)、「無機質な文体」(新聞記事やノンフィクションを読んでいるような文章、でも描写が細かいのがすごい)、多くの登場人物を出しながらも、巧みに操り効果的に配置することのできる「構成力」、そして、親と子の描き方や子どもという弱き存在の描き方、資本主義に対する抵抗勢力の描き方など、「サイドストーリー」も素晴らしかった。

 

 小説とはこういうものなのだ、こういうものが書けなければ小説とは言えないのだ、と作者が言っているような丁寧な編みっぷり。「貼り絵のように情報の欠片をコツコツと重ね合わせていった結果で、この手法こそが、今も昔もこれからも人々が求め続ける調査報道のあり方だ」という作中の台詞こそが、実はこの小説の魅力なのだろう。

 

 事件関係者に、新聞記者はこう説得する。

「伝言ゲームになった時点で真実ではなくなる。理不尽な形で犯罪に巻き込まれたとき、これまで聞いたことも見たこともない犯罪に直面したとき、社会の構造的欠陥に気付いたとき、私たちはいかにして不幸を軽減するのか。それには一人ひとりが考えるしか方法はないんです。だから、総括が必要で、総括するための言葉が必要なんです」(365頁)

 

 30年以上たった今でも、犯罪に巻き込まれた者(声を使われた子ども)は未だ存命し、罪の意識に苦しんでいる。その罪を担う苦しさと、その罪を描こうとする新聞記者の両面から見ることで、この事件の哀しさだけでなく、資本社会の影も浮かび上がってくるのを感じた。