たまに映画、展覧会、音楽など。

エジプト記「シナイ山 vol.1」

カイロの喧騒と交通渋滞をなんとか通り抜け、岩山と砂漠の間をガタガタとバスで走り続けること約8時間。その道中には、いくつもの検問がある。

「Passport!」

銃を持った軍の兵士が道路を見張り、バスが通れば通行を止め、チケットや身分証明書を見せるよう一人一人に迫ってくる。そんな検問を幾度も通らなければならない。途中立ち寄った休憩所は、周りに何もなく、ただひたすら砂と岩が広がっているだけだった。スエズ運河が見えたのは、ちらりと遠くに、しかもほんの数十分だった。

f:id:puku0427:20171115122240j:plain

(より詳しい様子は下記の動画から!)

 https://www.facebook.com/puku0427/videos/1567110480037259/

シナイ半島。ここは、外務省も「渡航の延期を勧め」ている。1952年のエジプト革命後、エジプト・アラブ共和国下にあったシナイ半島は、1967年の第三次中東戦争時にイスラエルに占領され、1973年の第四次中東戦争でも戦場となった。1978年にはエジプトへ返還されることとなり、その後順次返還され、現在は軍がエジプト全体の政権を担っている。

シナイ半島は軍事的な要地ではあるが、カイロからは遠く離れているため、経済開発はほとんど進んでいない。事実、カイロからシナイ半島をつなぐ道は荒れ果て、休憩所然り、途中にいくつか見かけた町も、廃墟となっている町がほとんどだった。
1990年以降、外国人観光客を狙った爆破事件が起きている。イスラム過激派「IS」による犯行だという。つい最近も外国人観光客のバスをねらった襲撃によって観光客が死亡し、今後も襲撃を続けるという犯行声明が出た。それゆえ、外務省が渡航の延期を促し、軍がテロへの警戒をしているのだろう。そんな厳戒態勢のなかでも、私はその光景をバスの窓越しに見るだけで(基本バスからは降られなかった)私にはどこか映画の世界のような遠い光景に見えて仕方がなかった。

8時間のバス移動の予定だったが、軍による検問で時間をとられ、結局12時間かかって、港町ダハブに到着する。
「ダハブ!ダハーブ!」
バスの運転手が叫ぶが、まわりは何もなく、ぽつんとベンチとテレビ、トイレがあるだけ。どうやら、ダハブの街からは数キロ離れているバスターミナルだったらしく、半信半疑でバスから降りる。到着が大幅に遅れたため、迎えに来てくれるはずの案内人もおらず、私たちはさっそく、英語さえあまり通じないこの小さな町で途方に暮れることになった(そのあいだも、タクシー運転手による勧誘がひっきりなしで、もし私ひとりだったらどうなっていただろう、とあとで考えて少しぞっとしたのだった)。

f:id:puku0427:20171115193348j:plain

 

ようやく市街地に到着。ホテルでほっと一息つき、町を散策する。それまでの軍による検問が嘘のように、ダハブはリゾート地として多くの人でにぎわっていた。観光客に溢れ(大学生くらいの若い日本の女の子グループもいた)、昼間は海でシュノーケリングをし、夜は浜辺や町で夜の時間を楽しんでいる。散歩をしていたらいつの間にかぐるりと一周してしまうような広さだが、ホテルや飲食街、お土産屋が多く、観光地として生計をたてているのがわかった。

f:id:puku0427:20171116132036j:plain

 

しかし驚いたのがシャワー。ごく平均的なホテルでシャワーを使うと、なんと塩水(お湯ではないことだけでも驚きなのに、ほのかに塩気がある!)だったのだ。冷暖房設備がないところもあった。その一方で高級車に乗っている人たちもちらほらといて、観光地といえども、エジプトらしいカオスがそこにはあった。

小さなレストランで食事をする。魚料理のレストランで、男性シェフがひとりで切り盛りしている、ブルーの色調がさわやかな小さなお店。とれたての魚を大きな冷蔵庫で保存し、それを客に直接見せて、魚を選ばせてくれた。さまざまな魚を次々と出しては「これはフライにするとおいしいよー」などと身振り手振りで教えてくれた。

「Where are you from? Japan? コンニチハー!」

カイロにもよくいた、陽気で親切な人だ。この町にとどまっている間、何度かこの店の前を通ったが、そのたびに

「Hi! How are you?」

と手を振ってくれる。そして何より、彼の料理は、美味しかった。カリっと揚がった魚も、野菜をふんだんに使ったスープも、魚と野菜をふんだんに使ったショートパスタもとても美味しい。ダハブのバスターミナルで生きた心地がしなかった私は、このスープでやっとくつろぐことができた。結局、今回の旅で印象に残っている食事というのは、このダハブでの最初の食事だったのだった。(つづく)

f:id:puku0427:20171115202010j:plain