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村上春樹『騎士団長殺し』

この作品は今後、村上春樹文学論を語るには決して外せない作品になる。

面白さや読みやすさはないけれど、
村上春樹史上の最高傑作かどうかは疑問だけれど、
文学作品として、とても異色で、非常に高度な作品であると思う。


読みながら「ああ、いつもの村上春樹だ」という安心と、
「お、今までの作品にはなかったのに……」という驚きと入り混じっている感じ。
その二つを解いてみると、新しい村上春樹文学論が出てくるのだと思う。

例えば、いつも通り女性にモテて、料理が上手で、
早寝早起きの規則正しい生活を送る主人公に、
人妻とのセックス、リトル・ピープル的存在、人里離れた一人暮らし、
いつも欠かせないお酒とレコード、もうひとつの世界、重たい石…。

白髪の人間は『スプートニクの恋人』を、幼い少女は『海辺のカフカ』を、
色免(めんしき)という人物はまさに『色をもたない…』のつくるの名前のようだし、
登場人物たちも、かつての作品を思い起こさせる。

場面も『羊をめぐる冒険』『ねじまき鳥』のようなものが多い。
村上春樹のベストアルバム的作品なのはきっと、何か意味があってのことなのだろう。
近作もここまで過去の作品と似せていたことはなかったし、
上下巻の色が赤と緑(『ノルウェイの森』と同じ色配置)なのも、何だかうなずける。

その一方で、過去と大きく違う点。
まず目について驚いたのは、主人公の第一人称が「私」だという点(!!!!!!!)。
村上春樹によって第一人称小説「僕」が確立したと言っても過言ではないのに、
何故か、「私」。(でも、主人公は過去の作品とあまり変わり映えがしない)
しかもしかも、会話中では「私」ではなく「僕」と言っている。
新たな「私」なのか、何かを失った「私」なのか。謎をもったまま物語は進んでいく。

ちなみに、『騎士団長殺し』……このタイトルは二重構造になっていて、
その過激さも珍しい。


あと2つ、特筆すべき点があるけれど、ここでは細かいことは伏せる。

一つはサイドストーリー(他の登場人物の過去)に描かれているエピソードだけれど、
よくぞまあ書いたものだ、と驚いたし、明らかに他と比べて温度が違った。
なぜかそこだけが、残虐で過酷なシーンを背負っているかのようだった。

もうひとつは、最終章。
過去の作品にはない主人公のラストと、
「ここではこれ以上は書かないぞ」という意思を感じさせる、数行のシーン。
けれど、そこに描かれているものが過去の村上の作品にない以上、
新たなものを生み出してしまったような気がして、私は怖かった。
(怖いシーンというより、書いてしまった村上春樹に恐怖したというのが正しい)


主人公は結局、何を描き・何を描けなくなり、
少女はどこへ迷い、何を得て戻ってきたのか、

そして主人公は、何を得て、何を再び失い、何を覆い隠したのか。
そんな得るもの・失うもの・生み出すものなどが錯綜するラスト……。


文体もどこか堅く、過去のように敢えて文体で遊ぶようなこともなく、
淡々と描かれていく、細かい絵の描写のように。
ゆえに、ストーリー的な面白さはないけれど、村上春樹のなかでは、
「もうこれで最後」という気持ちを感じさせる迫力があった。

少なくとも、続編はないだろう。