たまに映画、展覧会、音楽など。

原田マハ『太陽の棘』

私は絵が好きだ。日本画西洋画かかわらず。

しかし、明治〜昭和の日本人画家の描く洋画は、
西洋絵画(特に印象派)を取り入れたにも関わらず、
どことなく暗く、おどろおどろしいタッチのものが多く、
私はあまり好きではない。
(もちろん好きな画家はいる、松本峻介も金山康喜も野見山暁治も)

けれど、戦後の沖縄で描かれていた絵は、
ゴッホのように明るく、ゴーギャンのように力強く、
それでいて、その2人とも異なる独特の画風だったという。
そんな絵が本当にあったのか。絵に誘われて、手にとった。


太平洋戦争が終結して3年後の沖縄を舞台に、
アメリカ軍基地に精神医療医師がやってくる。
その医師と、沖縄でアメリカ人に絵を売って生活している画家たちとの
交流を描いた、実話に基づいた小説だった。


魅力的なのは、その芸術村で描かれていた絵の数々。

主に風景画が多かったというが、その絵は残念ながらこの本には載っていない。

沖縄の海の碧さを、空の青さを、ぎらぎらと照りつける太陽を、
ゴーギャンがあるいはゴッホが見たら、一体どんな絵を描いたのか。
そんなことを思い起こしてしまう。

「屋根でも、垣根でも、飯でも、何か創っていさえすれば、おれたちはご機嫌なんだ。な
んにもなくなったんなら、また創ればいい。それだけさ」(156頁)

掘り立て小屋のような簡素な家に住み、
台風が来るたびに家は跡形もなく飛ばされ、
そんなときでも彼らはそんなことを言っていた。
その明るさに、戦後を生きる人々の強さを見たような気がした。


そして最も忘れられないのが、その芸術村にいた一匹狼の画家。
彼だけが唯一、抽象画を描いていたらしい。

爆撃によって、家も家族も土地さえも吹き飛ばされた彼は、
一枚の抽象画を描く。
その絵は、黒一面で、ぼうっと、幾多のほの白い灯火が浮かんでいる。
暗く、しかし哀調に満ちた絵だった。

原田マハの文章は、そこまで文体に深みがあるかと言えばそうでもないほうだが、
絵についての描写と心象の描写は、とてもうまいと思う。
この絵が、ありありと浮かんでくるようだった。


芸術村の画家たちの絵は、「第1回沖展」に出品されたり、
このアメリカ人医師によって買い集められたりし、
そのうちの幾つかは、無事、沖縄の美術館に里帰りをしているという。


「この話は小説にしなければならなかった」
そんな原田マハの声が、さまざまな頁の端々から聞こえてくる本。
そして原田マハだからこそ、描けた小説だと思う。