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たまに映画、展覧会、音楽など。

西加奈子『i』

i(アイ)

i(アイ)

アイデンティティのアイ、愛情のアイ、虚数という存在しない「i」、私の「I」。

移民生まれで、アメリカ人と日本人の裕福な夫婦のもとに養子として育った主人公アイ。
この物語は、彼女の「自分探し」をしながら成長していく物語であると同時に、
シリア内戦、戦争や飛行機事故、地震による多数の死者、そして東日本大震災など、
夥しいほどの死者が描かれていく。
こんなにも死者とその人数が載っている文芸書があるだろうか。

アイは裕福な家で育ったゆえに、
シリアや世界中で理由なく多くの命が失われることに罪の意識をもっている。
「自分だけ助かってしまった」という罪悪感。

学生時代のアイはニュースで報道される死者の数
(内戦での志望者の数、阪神淡路大震災での死者の数など)を、ノートに書きつけていく。
まるでそうすることでしか、死者のことを覚えていられないかのように。
その瞬間は心を痛め、寄付をしたり、支援物資を送ったりすることができても、
自分だけ“シリアから救い出されてしまった”という申し訳なさが消えない。
たぶんそれは、西加奈子自身がイランのテヘランで育ち、
エジプトのカイロで小学校時代を過ごした過去も活かされているのだろう。

その葛藤が小説の前半、延々と綴られていく。

その罪悪感が、東日本大震災時での経験とつながる。
アイは初めて「免れなかった」出来事に遭遇し、
原発事故が起こっても東京を離れようとはせず、
安易に両親のいる外国に逃げまた免れることを拒否したのだった。
しかし、被害をこうむり、避難生活を余儀なくされた福島の人たちと、
東京の自分とは、明らかな差があった。
それを東京から出ないことで、“同情心”を少しでも紛らわそうとしたアイの姿
──幸せになることを拒否する人間の姿──は、
前半の“罪悪感”に上塗りされるかのように、小説の後半の核となる。

多くの日本人が、節電に勤しみ、祝事を取りやめ、
ボランティア活動をおこなった3・11。
他者の不遇によって、自らの心に自然と生まれてくる罪悪感や同情心に嫌悪し、苦しむ人間。
西加奈子は、小学校高学年から外国生活から一転、大阪で生活し、
きっと身近に阪神淡路大震災を経験したことだろう。
そして東日本大震災
その経験や、海外の動向などもあわせ、その罪悪感・同情心をよりリアルに描いていったように思える。

その罪の意識をどう乗り越えていくのか。
一見この小説は、まわりの人間に支えられながら、
世界中にあふれている飢餓問題や戦争について想い募らせ、自己を問う物語だが、
そのなかで重要な位置をしめていたのが、アイの妊娠と流産だろう。

もしこの事件がなければ、アイはまわりの人間に感謝しつつも、
裕福な暮らしを続けそれなりの幸せのなかに生き続けた。
それでも物語は成立する。しかし、アイは子を身ごもり、さらには流産をする。
あんなにもノートに書きつけた死者の数のうちのたったの「1」を、
アイは自身の身体で生み出し消してしまう。


その「1」が、題名の「i」と重なって見えてしまう。
一瞬の幸福と、絶望。そして身体から描き出される、既に心臓の止まった胎児。

愛する人との子を生みたいと思ったのは、
生みの親を知らないアイにとって初めて自ら幸せを求めたことだった。
自分と血肉をわけた、本当の家族が欲しいという幸せへの希求。
その幸せを求めるようになって以降、アイはシリア内戦もデモにも興味を失ってしまい、
そのことにも罪の意識をもってしまう。
「所詮人間は、自らの幸せを追い求めてしまう」という希薄な同情心を決定づけた。
さらにもう、ミナはここにはいない。
つまり自身にとって幸せのものがなくなったとき、
初めてアイは、自分で幸せを求め、アイデンティティを確立させていく。
そう考えると、自分の生き方や幸せは、
結局は自分の身に起こることで構成されているという結果に見える。
そんななか、アイは「想い」ということについて述べる。

「渦中の人しか苦しみを語ってはいけないなんてことはないと思う。
 もちろん、興味本位や冷やかしで彼らの気持ちを踏みにじるべきではない。絶対に。
 でも、渦中にいなくても、その人たちのことを思って苦しんでもいいと思う。
 その苦しみが広がって、知らなかった誰かが想像する余地になるんだと思う。
 渦中の苦しみを。それがどういうことなのか、想像でしかないけれど、
 それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは
 心を、思いを寄せることだと思う。」(271頁)

「私に起こったこともそう。私のからだの中で赤ん坊が死んで、
 その悲しみは私のものだけど、でもその経験をしていない人たちだって、
 私の悲しみを想像することは出来る。(…)
 それを慮って、一緒に苦しんでくれることは出来る。
 想像するというその力だけで亡くなった子どもは戻ってこないけど、
 でも、私の心は取り戻せる」(271頁)


シリア内戦や東日本大震災を契機とするデモ運動、
東日本大震災に受け止め方など、
自分と近しいようで遠く感じていた出来事をどう扱えば良いのか。
そしてこうして文章を書いている今も、
この本についてどう書けばよいのか分からず、
初めて数回書きなおしをした。結局、これだという答えは出なかった。

この小説を読みきることで、難民の存在や戦争の問題が、
少し自分と距離が近くなった気がする。
他人の不幸ではなく、想いを寄せることのできる不幸として。

東日本大震災から6年。この小説はきっと震災に寄り添って遺っていくだろう。