たまに映画、展覧会、音楽など。

おすすめの本

最近読んだ本などなどから。

まずは、 『マンスフィールド短編集』
西崎憲・訳 ちくま文庫

ココロの微妙な動きを繊細に、
かつ瑞々しく書き綴った作家、マンスフィールド

女性ウケしやすい、多彩な描写と、美しい風景が並ぶ短編集です。
その中でもお勧めが「ガーデンパーティ」。

ガーデンパーティがあった一日を、主人公の少女の目から綴ったもの。
初めは、パーティへの期待で膨らんでいる。

(本文より)
「そして、結局のところ、天気は理想的だった。」(冒頭)

「大きなよく光る葉っぱをつけて、黄色の実が鈴生りにんったカーラカの樹はすごく綺麗だった。カーラカの樹は想像のなかの樹に似ている。無人島で誇り高く、孤独に、葉と実を太陽に向かって高く掲げ、静かに輝く樹に。」

しかし、とある悲しい事故がおこる。
心を痛める主人公だが、パーティーは行われ、
そのあとでその家を訪れた主人公は涙してしまう。

ローラはすすり泣いた。
「ただ、不思議だっただけ。でもローリー――」
彼女は口をつぐんだ。そして兄を見た。
「生きることって」ローラは口ごもった。
「生きることって―」
けれど生きることがどういうものであるのか、彼女には説明することができなかった。だが、それは問題ではなかった。ローリーは完全に理解していた。
「ああ、そうだね」
ローリーはそう言った。

揺れる少女の思い。
繊細な風景。
希望に満ちた朝。
それを味わい方は是非。
私には少し甘すぎでした。もう少し毒が入ってないと、
この甘さが……いいんだけれど、ねぇ。。。
というのが正直な感想ですが、一応アメリカの有名な短編作家の名手です!!!


では逆に。
『月と六ペンス』
サマセット・モーム
土屋政雄・訳 光文社 古典新訳文庫

想像の悪魔に憑かれた男がいた!
というキャッチコピーと共に並んでいますが、
なんか、とても居心地が悪そう笑

これは私の卒論の本でもあるのですが、
なんていってもこの、この芸術家の狂気というものは恐ろしいなと思いました。
これはフィクションで、良かったと。

物語は、画家になろうと家族を棄て、
単身パリで絵描きになったとある人物にスポットを当てて進んでいきます。
主人公はそれを見守る作家であり、この物語の語り手でもある。

ストリックランドというこの画家は、パリで絵を学んだあと、
全く絵を売る気配も見せず、
創作に没頭し、創作にふける。
そして新たなインスピレーションを得るべく、
タヒチに向かい、そこで楽園を見る。
そしてここで最後の絵をうちの壁いっぱいにして描き、
命果てる、というもの。

タヒチの女』などで有名なゴーギャンをモデルにしているといわれているが、
このストリックランドはあまりに残忍で、人間はなれしていることから、
ほとんど独自の創作人物と言ってもいい。


ストリックランドの描いた絵を見た主人公はこう語っている。
「官能的で、情熱的で、途方もない……だが、同時に、身の毛のよだつ何か、
人を恐怖のどん底に叩き込む何か」を感じている。


いろいろ大人の事情があって、
ストリックランドの命の恩人がアタマに来てこの絵をナイフで引き裂こうとしたときも。
「恐ろしくて、手をつけられなかった」と言っている。

(本文より)
一つだけ分かったことがある。それは、人々が美について気軽に語りすぎているということだ。語感に欠ける人間が言葉を杜撰に使い続けると、言葉は力を失う。あれもこれも同じ言葉で語られるうち、その言葉が本来表すべきものの尊厳が損なわれる。人はドレスを美しいと言い、犬を美しいと言い、説教を美しいという。そして「美」なる言葉で表すべき本当のものに出会ったとき、それを美を認識できなくなる。つまらない考えを飾ろうとして偽りの強調を重ねているうち、感受性が鈍る。……だがストルーブは違った。救いがたい道化であっても、魂は誠実で偽りがない。

そしてこの小説の魅力が、この距離感。
ストリックランド自身ではなく、語り手がストリックランドを回想する形で物語は進められるため、
どうしてもストリックランドの心情に触れることができない。
ストリックランドの思ったであろうことも、語り手のフィルターを通してしか見ることができない。

その距離だからこそ、読者はストリックランドにより憧れを持つのだろうし、
謎を多く残した芸術家のように映る。

ん〜、『若き芸術家の肖像』(J・ジョイス)の作品のいいけれど、
芸術に触れたい方、こちらを是非。


さて。
日本人作家行きます。
『黄色い目の魚』
佐藤多佳子 新潮文庫

前回の読書会の課題図書。
青春小説と書いてあったので、甘酸っぱいのかと心して読んだら、
なんてことない、なんて可愛い話なんだ!!!!

耳をすませば、ってありましたよね?
あのアニメが好きな子には、特にうってつけかもしれない。
周囲と全く心を通わすこともなく、
両親にも反発して、
イラストレータ・漫画家の叔父にだけ心を許しているみのりちゃん。

そしてクラスメイトの木島悟。

美術の授業でデッサンをすることになり、二人はペアを組むことになる。
そこで木島は先生の忠告も無視して、鉛筆でひたすらみのるの顔をデッサンしていく。
「鉛筆から描かないと絵はうまくならないんです」
と言い張り、ひたすら絵を描く木島。
それを追い出す先生ですが、何故か後をおいかけていくみのりちゃん。
「まだ、絵。描き終えてないんでしょ。ホラ、描いていいよ」
と言うみのりは、まだ恋をしてるわけでもないのに、
とても可愛くて、いい雰囲気を漂わせています。

その後、どうしてもみのりの顔をうまく描くことができないと、苦悩する木島君。
他のクラスメイトの顔は簡単に描けるのに、なぜこいつの顔は描けないんだ……。

二人の間に進展はあるのか。
漫画家の叔父さんとみのりの行方は。
「俺、ずっと描きたいから、お前の絵。」
スポーツ万能、かっこよくって、絵を描いている男の子にこんなこと言われたら、
私はアウトです。。。。笑


次、最後〜〜〜。

問題作、行きます。
『ロリータ』
ウラジーミル・ナブコフ
若島 正・訳 新潮文庫

ロリコン。という言葉の語源にもなったこの『ロリータ』。
物語の中で、とあるイケメン中年おじさんが12歳の女の子、ロリータに恋をします。

そしてロリータのママと結婚した主人公は、
とあることで、事がママにバレ、
そしてまたまたとあることでママが事故死します。

晴れてロリータと二人きりになった主人公は、
ロリータといろいろなところに連れまわし、
何かいろいろなことをやらかします。
最終的にロリータは逃げ出し、他の男と結婚するんですが、
最終的には出産と同時に死んでしまうという。
一方主人公は、ロリータのダンナを捕まえ、殺してしまう。
というお話。

確かにロリータにのめる込む主人公の姿、尋常じゃないです、
狂ってます。

冒頭部分
ロリータ。わが命の光。わが腰の炎。わが魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。

うぉっ。って感じ、圧倒される冒頭です。

これを全部読むのはなかなか大変なので興味を持った方は頑張ってチャレンジしていただきたいのですが、
これをお勧めするのはただのロリコン紹介ではなくって、
この本はどれだけ奥は深いかってこと!!!

れっきとした文学作品。
この物語をきちっと最初から最後まで読んだら…ある仕掛けに気づくはず。
もし気づかなかったら、
もう一度読んでみたら、分かる。
この巧みな技術。
この文章力。
読者を惑わすこの技。

本がこれだけ分厚いのはただ単にロリコンを述べているだけではなく、
哲学、読者の目をそらすためのあらゆる工夫がされているからこそのこと。

私はそんなこと一切気づかず読んでました。
読んでこんなロリコンを読ませて先生は何がしたいんだ!と思っていたら、授業でこんな面白いことを言っていたので、
そうなんだ〜! とナブコフを見直しました。


年末は私は、江國香織の新刊『左岸』を読破する予定です。