たまに映画、展覧会、音楽など。

「藤城清治展」(自宅スタジオ)

先日、藤城清治の個展に足を運んだ。
その色鮮やかな影絵の世界を観ていると、色は朽ちないものと信じてしまう。
そして影の世界からひょっこり現れる愉快な仲間たちに、私はいつも微笑み返してしまう。
にこり。

そのとき、小人が一人、私の元に飛び込んできた。小人は恋人。
私の恋人、私のお守り。
小人は問いかける。

――世界がもし灰色だけの世界だったらどうする?

同じ言葉をある洋画家が言っていたのを私は頭の片隅から引っ張り出す。
「それが、画家の役目なの。プロの役目なのよ」
そう断言した彼女の力強い目を思い出す。
灰色だらけの世の中だと誰も生きていて心地良くない。心弾まない。
だからこうして画家が世界を色づける。
あるいは色づいた世界を、絵画を用いて讃称する。

――色彩……それぞれの色の良さと特徴を捉えた使い方、
あるいはそれが油彩なのか水彩なのか、使っているものによってさえ色は違ってくる。
色のひとつひとつはパーツで、言葉と一緒なんだよ。
どう組み合わせるのか、それ次第だって言っていたのを覚えてる?

私はうなずく。

――スーラージュは、黒が原点だった。
光の反射を表すために黒を用いたんだ。
黒は闇を表すのではなくて、黒という色から光が生まれたんだよ。

そして、その光は時に、変化する。

――衝突だ!

色と色が衝突し、光は変化する。
その反射の組み立てによって、光は色めき立つ。
時に淡麗に、時に瑞々しく、時に悲しみを称え、時に宇宙とキスをする。

――組み合わせ、コンビネーション……悪魔の声にあったように、
文化は組み合わせによって生まれてきたのかもしれない。
フランス料理のソースが3種類から、たった15年で600種類になったのも組み合わせ。
ほら、思い出してきただろう? 3原色の定理を。
そう、たった3つの色の組み合わせから無数の色が生まれてくる、加色定理。
これも組み合わせ。あれも組み合わせ。
何と何を出会わせるか、その編集によって、何を表現するかが大きく変わってくる。

思わぬもの同士をかけて大きく飛躍させることもできるはず。ミネロギア……。
だとすれば、出会わせるのは、色と色じゃなくてもいい。

――そう。たとえば……光と水と色を出会わせる。
雫を太陽ごしにみたらどうなる?
今日、シャワーを浴びるときにそのお湯を電球ごしに見てごらん、何色だって思う?
それを君は、なんと表現するだろう? 
それを見た君は、どんな色をキャンパスに描き込むだろう?

色と音を出会わせたらどうなるだろう?
色と言葉を出会わせたらどうなるだろう?
色が森に迷いこんだら、どうなるだろう?

――君はそのときどんな色を創るだろう?



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ブリジストン美術館アンフォルメルとは何か?」を中心に、
最近観た個展や講義から――