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たまに映画、展覧会、音楽など。

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」(国立美術館)07

第三章 ポスト印象派以降


印象派が切り開いた新しい美術の地平。
都市と周辺の身近な情景を主題に、
明るい色彩と素早いタッチで戸外の光を表現した印象派の絵画に魅惑されたのが、
ポール・セザンヌ
ポール・ゴーギャン
フィンセント・ファン・ゴッホ
ジョルジュ・スーラといいった画家たちである。

鮮やかな色使い、絵具の厚塗り、筆触の強調。
そういった印象派の技法を継承しつつも、彼らは独自の表現方法を見出していった。
今回ここで紹介するのはセザンヌゴッホ
今回敢え無く登場できなかったゴーギャンは過去の展覧会の様子から。
http://d.hatena.ne.jp/puku0427/20090801


1880年代、フランスでおもに活躍したポスト印象派
彼らはフォーヴィスム表現主義キュビスムなどの20世紀美術との橋渡しをしたともいえる。
さあ、まずはセザンヌを観ていこう。
扉の向こうには、彼が、待っている。



6.古の美を簡単にしてこそ感嘆


ポールと聞いて、3人挙げられた君はえらい。
というより、そのくらいすぐに頭に浮かぶくらいになっておいてもらわいと困る。
そう、ポール・オースター、ポール・ゴーギャン、ポール・スザンヌ
オースターはユダヤ系アメリカ人、ゴーギャンスザンヌはフランス人だ。
ではこのスザンヌ印象派にどのような影響を受けたのか、そこからまずはいってみよう。

確かに彼は印象派に影響を受けた。
けれど、彼はさらに永続的なもの、堅牢なものを創りだそうとしていたんだ。
ケンロウって意味がわからない? 辞書を引いてくれ。できたらその英語もメモしておくとよい。
そうそう、堅牢地神という言葉くらいは知っておいてくれ給え。

印象派が「拡張編集的」で、過度な分析にこだわる一方で、
ずばっと「要約編集的」にしてしまった、それがこのポールというわけだ。


まずはこの絵を観てみよう。
ポール・セザンヌ「リンゴとオレンジ 」 1895〜1900年


さあ、君、いってみようか。このどこが「要約編集的」なのか。
フォルムが単純化されている?
フォルムって何だ?
君ねぇ、一体誰に向かって口を聞いていると思っているんだい?

じゃあ彼女。 色?色が印象派と全然違う?確かに。
ということは、この色は本物と比べて似ているのか似ていないのか。
似ていない? そんなことないだろう。

この絵をよく見てみると、妙な構図に君たちも気づくだろう。
どうみたって、リンゴがおかしい。
こんな状態でリンゴは重なりあわない。
なんだったら、家に帰ってやってみるといい。
だけどこの絶妙なリンゴの配置によって、溢れるばかりのりんごの存在感が出ている。

しかも上から横からと、いろんな角度から描かれている。
そう、勘のするどい君ならわかったかな? 
これがのちにピカソなんかにが受け継がれていくんだよ。


では問題のこの作品を観てみよう。
ポール・セザンヌ「赤いチョッキの少年」1888年〜1890年

もうページの余白が少ないから当てたいけど、このまま進んでいくよ。
時間的な意味でも延長はできないからね。

まず、構図。

そういえば、君、先週古代ギリシャ展に行ったって言ってなかった?
あぁ、ごめん、当てるヒマなんてなかったんだった。
もし行ったとしたら、君はこれと同じ構図をたくさん見てきたはずだ。
正面を向いて手をあてて、少し身体をひねらせているこの構図は、
ルネサンスから引き継がれているもの。
もちろん、ルネサンスギリシャの恩恵を受けていることぐらい、
君たちには知っておいてもらいたい。

ポール、君は全く不思議な人物だよ。
そんなふうに構図が非常に伝統的である一方で、
色彩の配置は非常にダイナミックで、官能的。しびれてしまうくらいに。
赤のチョッキが効いてるねぇ。
バックの色彩も他の色もくすんで大胆なタッチ。
実際に観たらその筆の跡を感じることもできるだろう。
その大胆なタッチから感じるのは、あのエドガーと同じ質感だよねぇ。

エドガーって聞いてわかった? もう何度も出ているドガだよねぇ。
ちなみにエドガー・アラン・ポーという作家が僕はとっても好きんだけど。
そのドガの繊細な色の塗り方と、セザンヌの大胆な塗り方。
これぞ「拡張編集」と「要約編集」の違いだというわけだ。

編集の面白さはいたるところにひそんでいる、ということだ。
とりあえず今日はポールが誰か、エドガーが誰かってことぐらいは覚えて帰ってくれ。
できれば家に帰って本で「64の編集技法」の中から、
「要約」が何番目にあるか、調べておくとよいと思うよ。

命削って、生きていくんだよ。