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たまに映画、展覧会、音楽など。

華恵 『本を読むわたし』つづき

前回の本夜vol.2『本を読むわたし』(華恵)。
華恵さんの話にはつづきがある。

先月「連塾」というイベントで
華恵さんがトイピアノを使って「はせがわくんきらいや」を朗読していたのが、
私が華恵さんの本を読むようになったきっかけ。
(「はせがわくんきらいや」も『本を読むわたし』に登場する。)
そのときの華恵さんの声、おもちゃのピアノから奏でるメロディーが心地よくて、
「はせがわくんなんてだあきらい」の一文がまだ耳から離れない。

そして今日、わたしが世界で一番好きな本屋「松丸本舗」でトークイベントがあった。
一時間、あれがたったの一時間? 
全てを書くのはスペースが足らないので、今回は心に残ったところだけ。


まず「山」の話。
華恵さんはエッセイストやナビゲーターとしてテレビ・ラジオに登場するほか、
雑誌「山と渓谷」に連載するなど、山に関する著述も多い。
(『華恵、山へ行く』という本もある)。
東京藝大で音楽を学ぶ彼女にとって、音楽や本というのはそばにあるもの。
けれど、山では、音楽も本ももたないという。
ひたすら歩き、感覚と研ぎ澄まして「無防備」になる。
「祈りに近いのかもしれません。山って生死ととても近い。
たとえば、岩があってこの向こうに足を出したら、死んじゃうんだなって。
けどこっちを歩いているということは、わたしは、一歩ずつ生を選択していることになる」

とても共感できた。
小さい頃から山に連れていかれていたわたしにとっても「自然」はかけがえのない存在。
いろんなものから解き放たれて、山に登る。ひたすら歩く。
空に近くなる。木と触れあえる。
それは、開放感という言葉をさらに飛び越えた、まさに祈りという言葉に近い気がする。


次に「音楽」の話。
大学で音楽を学んでいる華恵さん、興味深いのがそれが「葬式音楽」という点。
大学で学んでいる音楽の基本体系(西洋音楽、東洋音楽、音楽理論など)ももちろん大切で、
今、彼女にとって吸収すべきことではあるらしいけれど、
華恵さん自身ならではの<関心の泳ぎ方>があって、
自分なりの体系(分類)をしたいという。
「音楽を言葉で切り取る、あるいは言葉を並べて音楽を作る。
 松丸にいると、情報があふれていて、ぐちゃぐちゃにされるけど、けど整理もされる。
 松丸ならではの文脈があるんだと思います。
 松岡さんも、ずんと深く深くまで入っていって、そこからひゅんっと飛ぶ。
 わたしもわたしで、自分なりに音楽をきりとってみたいんです」。
華恵さんの選んだ音楽という舞台。
華恵さんだけができる文脈の創り方。
「楽しいものを悲しさで包む。悲しいものをふわっとあたたかく包む」。
それが今、葬式音楽というところや様々な楽器にカーソルが向いているのだろう。

ああ、一緒だ。
わたしは華恵さんみたいに真摯に向き合えていないけれど、
自分なりの文脈で作ってみたいものがある。
わたしは「芸術」というフィールドで。
う〜ん、【芸術・自然・人を物語的文脈(文学)できりとる】……かな。
それをどうしたらいいかわからないときに、ある人が松岡正剛という人と出会わせてくれた。
松丸本舗の文脈、松岡正剛が体系化してきた編集工学。
それと一致させる必要はないけれど、そこを基盤として、
わたしもわたしなりに、3つのフィールドを編集してみたい。
そのヒントを探ろうと、
今、芸術というジャンルで仕事をしている。編集の勉強をしたり、松丸本舗に行ったりしている。


華恵さんは、自分なりのきりとり方をとても自然な呼吸で考えていて、
きっと、華恵さんらしい文脈で音楽をきりとるんだろうなあ。
「今は物語をもっていてそれを引き継いでいる人、でもそれを語っていない人に会ってみたい。
 たとえば、楽器を作っている人とか」
華恵さんの音楽についての本が出るのが、今からとても楽しみだ。