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村上春樹『色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年』

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』について

 ネタバレなし。引用あり。

 
 ストーリーは興味深くて最後まで読ませるだけの力はあったし、
「色彩」を軸に小説を進めつつ、
 彼とヒロインとの会話は素晴らしいものであったけれど、
 構成に関しては不満たらたら……伏線は微妙なまま、
 ラストも曖昧にすればいいっってものじゃない。
 今までの春樹の小説は、密に構成されていて、読者が逃げ場がなくどっぷり小説に捕まっていた。
 満足感や感動を春樹の本に求めるのはお門違いだけれど、
 今回は『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』と『1Q84』が混合させて焼き増しさせているだけ。
 
 ノルウェイの森=主人公の成り立ち/性格/クライマックスからラストにかけての展開
 海辺のカフカ=物語の進め方、登場人物の立ち位置
 1Q84=小説の伏線にあるストーリー、無意識に繰り広げられる性描写

 『スプートニクの恋人』やエッセイ本のほうがオリジナルに溢れている。
 つまり、往々にして本屋で売れているからといって、それが名作というわけではない。
 それは美術の展覧会に関しても同じことが言えると思う。
 この本が名作だと思う人がいるのはそれは人それぞれの感覚だから良いのだけれど、
 ベストセラーだからこの本は面白い!とは言えない。
 
 とはいうものの、春樹の作家としての才能は、小説内にふんだんに発揮されていた。
 特に会話文は、展開を紡いでいく小さな糸のようだった。カラフルな糸。
 何本かの糸の繊維には、「色の原石」が編み込まれていたように思う。こまやかに。
 
===ヒロインが主人公つくるの過去を聞いたときの相づち。
「限定された目的は人生を簡潔にする」(P23)

===工科大の後輩の台詞。彼の思考(省察)に関する話。
「自由にものを考えるというのは、つまるところ自分の肉体を離れるということでもあります。自分の肉体という限定された檻を出て、鎖から解き放たれ、純粋に論理を飛翔させる。論理に自然な生命を与える。それが思考における自由の中核にあるものです」
(中略)
「思考とは髭のようなものだ。成長するまで生えてこない。たしか誰かがそう言った」とつくるは言った。「誰だったか覚えていないけれど」
ヴォルテールです」と年下の学生は言った。(P66)

==="美しき共同体”のメンバーの一人、エリとの会話。
「僕にはたぶん自分というものがないからだよ。これという個性もなければ、鮮やかな色彩もない。こちらから差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない(中略)。僕はいつも自分を空っぽの容器みたいに感じてきた。入れ物としてはある程度形をなしているかもしれないけれど、その中には内容と呼べるほどのものはろくすっぽない(中略)」
「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」とエリは言った。「もしそうだとしても、君は素敵な、心を惹かれる容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当には誰にもわかりはしない。そう思わない? それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」(P322)

「君は色彩を欠いてなんかいない。(中略)自信と勇気を持ちなさい。君に必要なのはそれだけだよ。怯えがつまらないプライドのために、大事な人を失ったりしちゃいけない」(P328)

===
多くの人が、怯えやつまらないプライドを抱えながら、自分の色彩を探したり、
空っぽの容器に何かを満たそうとしたりして、必死になっている。
そして、色や満たすものを見つけてしまえば人生はスムーズに進むのだと思う。
だけど、それは髭を生やしているとは言えない。ちっとも素敵じゃない。
ただ決められたカラーの中で自分が選んだだけのコーディネート。ちっともオリジナルじゃない。

絵画が色や形だけでは傑作が生まれないように、
人も個性やスタイル、夢があれば幸せかというわけではない。
大事なものは自分の中身ではない。決して。
今回の春樹の小説は、勇気と自信と思考という、人間の「容器」ーー
つまり自分を司どる物の話。

それは、色に例えていうと、色が「色」として発生する前、
粉や岩といった原石として佇んでいる「ゆくゆくは色になるもの」を垣間見せてくれる小説。

原石を紡ぐ小説を、初めて読んだ。