平野啓一郎 『本の読み方 スロー・リーディングの実践』
平野啓一郎著
『本の読み方 スロー・リーディングの実践』
「本を読む」とはどういうことか。
本屋に行けば、速読法の本が溢れている。皆、より多くの本を手にとろうとしている。
それもひとつの読書法であり、否定するつもりない。
だが、本を読むことはだ単に情報を得ることだけなのか?
速読は自分に都合の良い理解だけではないか?
そもそもーー小説を速読することに、一体何の意味があるのか?
平野啓一郎は「小説にはノイズがある」と書いている。
例えば恋愛小説でノイズを気にせず、骨格だけを切り取ってしまえば、
ただ単に二人が出会ってくっついて、で終わってしまう。
本来の恋愛も、そうであったとしても、その内容にこそ意味があり深みがある。
文体、構成、内容、場面展開、いろんな視点から読み解く、
さらに言えば、「作家の視点」にたって読み解くことで、小説の細部が見えてくる。
それを、作者は「スロー・リーディング」と呼んでいる。
つまり、遅読でも再読とも違う、時間をかけて豊かな時を刻む読書のこと。
今は知りたいことがあればネット検索をすれば良い時代だ。
小説のあらすじを知りたければ検索すれば良い。
それ以上のものを小説から得るにはどうすれば良いか、それを得ることができるのががスロー・リーディング。
(もちろん、小説以外にも十分通用する)。
いくつかの例を挙げてみる。たとえば「書き出しの一文」に注目する。
▼「橋」フランツ・カフカ
「私は橋だった。冷たく硬直して深い谷にかかっていた。」
こんな冒頭、カフカらしい。
「私は橋だった」……だった? じゃあ今は何なのか? なぜ橋が話すのか?
なぜ「冷たく」硬直しているのか、それが連想するものは?
私という橋が、深い谷にかかっている。なぜ「深い」のか。ここからラストを喚起させる仕組みがある。
続きは平野啓一郎が『スロー・リーディング』にて。
自分でやってみるとこうなる。
▼『舞姫』森鴎外
「石炭をばはや積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静かにて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。」
「積み果てつ」=積みおえてしまった=完了形……小説の冒頭なのに完了形? なぜ?
完了しているのであれば、冒頭からこの説明はなくとも良いのでは?
ふと気がつけば、主人公が全く気がつかない間にすっかり荷物が積まれてしまっていた、
つまり、主人公がそれほどまさに重い沈んでいたことがわかる。
ここから、この小説のテーマが既に浮かんでいるといえる。
何よりも、冒頭から「小説の余白」(ふと気がつくと…という意味)を使っている。
まさに、森鴎外の巧みな文章力とはまさにこのこと。
ほかにも様々な手法があり、平野啓一郎は様々な小説を引用しそれを紹介している。
ざっと自己流でまとめると以下のような内容だった。
*助詞や助動詞の使い方に注目する(作家毎に大きく違う)
*感情の踊り場……言葉にできない感覚的な読みに注目する(余白的部分、状況の変化など)
*情景の変化……登場人物の入れ替え、時間帯、場所から本題が見えてくる
*条件をかえてみる……創造的な読みが可能になる
*書き出しの一文に注目する
*形容詞、形容動詞、副詞に注目する……小説全体を象徴したり、イメージさせたり、連想の基準となる
*登場人物を比較する(状況や関係性)
*思想の対決に注目する……ポリフォ二ー小説(バフーチン ロシアの批評家)
*様々な小技に注目する……語尾、間のとりかた、風景描写、心理描写
*他作品と比較する……作家毎、テーマ毎(金原ひとみ『蛇にピアス』と谷崎潤一郎『刺青』
*漸増法に注目する……小説のクライマックスなどの数字による効果
*比喩に着目する……重層的なイメージが隠れている
上記の内容を意識しながら小説をマーキングしてみて驚いた。
作者の意図がふんだん見えてくる。
新書や専門書にかぎったものではなく、小説にこそマーキングに意味があるんだとわかった。
作家の巧みな技を知ることで、自分の文章力があがるだけではなく、
自分がプレゼンをしたり、人と話をしたり、話を聴くしたりするときにも大いに応用が効く。
はじめて知ったスロー・リーディング。
豊かな時間と思索の時間が、自分を幸福にさせてくれる。やっつけ読書には絶対にない時間。
そして平野啓一郎の本に対する真摯な姿勢に感銘を受けて、
少し背筋をのばして、新鮮な気持ちで本と向き合う気持ちにさせてくれた。