たまに映画、展覧会、音楽など。

又吉直樹『劇場』

 

劇場

劇場

 

どこでもないような場所で、渇ききった排水溝を見ていた。誰かの笑い声がいくつも通り過ぎ、蝉の声が無秩序に重なったり遠ざかったりしていた。(5‐6頁)

  風景描写は、とにかくリアリティを追及している。渋谷~下北沢の街並みや、小さな劇場の様子、居酒屋の喧騒など、懐かしさを覚える人もきっと多いだろう、その風景がありありと描かれている。その文章が素晴らしかった。そのうえで、俯瞰した視線で、主人公の一人称体で語っているので、どこか現実離れした体をなしている。

自分の肉体よりも少し後ろを歩いているような感覚で、肉体に対して止まるよう要求することはできなかった。(…)人波にのまれ、あらゆる音が徐々に重なったが、自分の足音だけは鮮明に聴こえていた。(6頁)

 主人公である演劇脚本家は、偏見と世間を嫌い、平気に、いやそれどこかムキになって自ら進んで、他人を傷つけている(だから読んでいてイライラしたり、この人大丈夫かなと怖くなったりする)。そして天真爛漫で笑顔の絶えないヒロインは、そんなろくでなしの主人公のために昼夜働き、彼の脚本としての才能を信じて疑わない。しかし、ラストには心身疲労してしまい、主人公と暮らすことを放棄してしまう。

 恋愛から人間の脆弱な人間性や甘えが見えてしまうことが多いけれど、この小説はその人間的弱さが全面に出ていて、高校生か大学生のような幼稚な恋愛劇を繰り広げている箇所も多々見受けられた。

 本の題名である『劇場』は、人生は劇場であるという意味なのか本意となるところはわからないけれど、そのタイトルからはそのような意味やシェイクスピアの意図のようなものが見えてしまう。さらに主人公の思考や物語の展開はどこか太宰治的。不安定で駄目人間の主人公はまさに太宰の小説に出てくるようでもある。文学少年の同人誌だと書くと、語弊がありそうだけれど、後世にのこる文学作品ではないし、海外に出ていく作品でももちろんない、というのもまた現実だと思う(この作品に限らず、昨今ベストセラーと言われる文芸作品の多くが同じ道をたどる)。

 それでも、現代を(特に都会で)懸命に生きる人々にとって、懐かしさを感じたり、自分と同じ境遇だと思ったり、ごみごみとした喧騒と混乱と憎悪のなかで一筋の光を探すような生き方に共感をする人も多いのだと思う。そういう意味では現代に寄り添い、風景も心情も──みんながみんな太宰的人間ではないにしても──リアルも描き出した作品、と言えるのかもしれない。