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たまに映画、展覧会、音楽など。

松岡正剛 『知の編集術』

2010年から2011年にかけて、こもることにしました。
高知でもなく山口でもなく、
父方の実家にて、本とともに埋もれています(笑)

……というのも半分くらいうそで、実家のお正月の準備で忙殺。
大晦日から徹夜で本を読みましたが、
仏壇の前なので、なんだか、ね(笑)

読みたい本がたまっていました。
読みたい本、読むべき本、するべき勉強、したい勉強、
お正月休み、とことん本を読んでやろうと思い、
常に本を抱えています。
ある意味でとても幸せです。

【手法の話――方法の冒険をしよう!】
2011年、こんな年にしたいです。
そのヒント↓↓

私は21世紀は「方法の時代」になるだろうと考えている。(略)

すでにわれわれは21世紀においてだいたいの主題を提出し、
その展開が意外にも難題をたくさんかかえていることを知った。
たとえば平和、たとえば教育問題、たとえば安全保障、
たとえば経済協力、たとえば環境保全、たとえば飢餓脱出……。
これらは地球上のどんな社会にとっても、
いまや最も重要な主題として認識されている。(略)

しかし、事態はけっしてうまくは進んでこなかった。
誰だって戦争は危険なもの、爆撃は危険なものだとおもっているけれど、
戦争はなくならないし、
経済恐慌は避けたほうがいいとはわかっているが、
どの国だって好景気はなかなか続かない。(略)

つまりどのような主題が大事かは、だいたいわかってきて、
ずらりと列挙できているにもかかわらず、
それだけではけっしてうまくはいかなかったのである。
それゆえ、おそらく問題は「主題」にあるのではない。
きっと、問題の解決の糸口は
いくつもの主題を結びつける「あいだ」にあって
その「あいだ」を見出す「方法」こそが大事になっているはずなのだ。

by松岡正剛『知の編集術』


ということは、その主題を解決す<方法>を見つける
<編集>が活きてくると思います。
やっぱりただの編集者じゃ、面白くない。
本の編集、雑誌の編集、人の編集、地域の編集。
きっと今、地域は再編集の時代になりつつある。
そしてあらゆるものが共鳴しているこの時代だからこそうまれた
あらゆるコラボレーションを、より際立たせたい。


【フィールドの話――芸術の概念作用とは何か?】

今回読んだ本の中で、
私が長年探していた、ひとつの答えを見つけることができました。
それは<芸術のコラボレーション>

私にとって軸の存在になる<文学>と、
その他の芸術(音楽、建築、絵画など)とが重なりあうはず。
その記述はところどころに見かけていたのですが、
説得力がなかったのですが、
やっぱり、この本は違った。
貸してくれた人、(高い本なのに)本当にありがとう〜。


……『灯台へ』のヴァージニア・ウルフ
音楽の技法の文学への数少ない成功例のひとつを示してくれている。(略)

「小説全体を三楽章とし、
 第一と第三の楽章はセザール・フランクショーソン交響曲同様、
 同じ主題を用いつつ循環するが、
 内なる第二楽章は外なる二つの楽章と長さの点ばかりか、
 心理的<現実>ではなく人間を超えた<自然>に
 目を向けいている点で激しい対象をなしている」(略)

この小説を再検討してみれば、
この作が英文学中他に類を見ぬ興奮の強度を保っていることがわかる。
それは本質的に一個の音楽的経験であって、観念を伝えることはない。(略)

意識の流れの技法は、印象主義絵画と結びついたものだということは
ロシアの批評家ニコライ・チェルヌイシェフスキーが
はっきり見抜いていたとおりである。(略)
意識の流れの技法も、
なるほどそうした観念が何人かの孤立した天才の脳裡にきざしたことは以前にあったにもせよ、
印象主義を見知ることになった時代にのみ発展することができたと言うべきかもしれない。

byマリオ・プラーツ
 『ムネモシュネ―文学と視覚芸術との間の平行現象』


きたね!!!
もっともっと文学と他の芸術との平行現象を探っていかねば。。。
大学時代、<文学>を学ぶ一方で、
<絵画>と<音楽>もつねに触れようとしてきて
コンサートや美術館にたくさんいってきたけれど、
それがどうにかつなげたい、と思ってきました。
その糸口がこのあたりかもしれないなぁ。


タイトルにした「澪」(みお)
意味は、船の通ったあとにできる跡。航跡のことです。
情景が目に浮かぶ、日本語らしい余韻のある言葉。
姪っ子の名前です。