たまに映画、展覧会、音楽など。

「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」

多くの日本人に愛されている画家といえばフェルメールが頭に浮かぶ。


2009年のルーブル展のときに観た「レースを編む女」。
彼女の細やかな手つきに惚れた私も、
多くの日本人と同じく、フェルメールの創りだす世界を心から心から愛してる。


今回もその「細やかさ」に魅了されてきた。

色がふくよかで、深みがあって、品がある。

<色の細やかさ>といったほうが正確なのかも。


今回注目度NO1の「地理学者」は、フェルメールらしく窓辺の佇む人の絵だった。
(やっぱりね、という言葉も含め)

窓から光が溢れていて、机や、タンスや地球儀に影を与えていて、

あたたかな光がその絵を包む。

<光>という言葉から連想される画家は言うまでもなくレンブラントだけれど、

<カメラ・オブ・スキュラ>あるいは<窓>という言葉からも、

フェルメールにとってのkeywordも<光>であるような気がする。
(もちろん、当時のオランダが黄金の世紀を迎えていることも重ねて。)



淡い光に包まれた部屋にはそんな<やわらかさ>が必要。

フェルメールはそれを忠実に天才的に描き出したように思わざる得ない。



最秀作「真珠の首飾りをつけた少女」に存在しているあの青色(少女のターバンの色)にある鮮やかさ、
今回も健在だった。

というより、
ポスターや本で観るより、ずっと色鮮やかだったことも嬉しい誤算だったといえるかな。

このフェルメールの創りだす色のあたたかみ、やわらかさ、深み。

人の心を捉えるこの色、どっかと似ている、とずっと思っていて、でも思いつかず。
(そういうわけで、この日記をすぐには書けず)


思い当った画家が、ラファエロ


フェルメールが生まれる100年も前に死んでいて、

生まれた国も違うけれど、

私には、同じ色のあたたかさがあるように思えた。



たとえば、ブリューゲルとかコローとかもそれに類するのかもしれないけれど、

色だけに着目したとき、ラファエロフェルメールを結びつけたのは



<青色>。


ラファエロの生きていた時代も、フェルメールの生きていた時代も、

青色(正確には群青色 別名ウルトラマリン)を彼らはラピスラズリという岩石を削って青色を作っていた。
(ちなみにウルトラ=越える、マリン=海 この岩石は地中海を越えてやってきたもの)

当時はとても高価で、フェルメールの作る青は、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれているらしい。

別名、「マドンナ・ブルー」。


そう、多くの聖母を描いてきたラファエロにも、この青色が存在する。



思い出してみたら、聖母マリアがいつもまとっている服は青色。
(ほらレオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」もでしょ)


この青は、最上のブルーということで、キリスト教のシンボルとして定着しているんだとか。

この青色は、清廉とした美を表すもの色で、
ラファエロフェルメールを結びつけられる。


そして、今回観た「地理学者」。

彼のきている服もまさかの青色だった。


彼はまぎれもない地理学者だし、モデルもいるけれど、

青色をまとっている点、マリアののこりのシンボルカラーである赤と白も身につけている点、
そして、遠く窓の先を見つめる視線。

マリアを重ねたっていいじゃないの。

フェルメール展の説明にはそんなこと書かれていなかったけれど、

人がどう解釈するかは自由だと思うので、これが私の解釈。

(というか、青色を調べてたら発覚しただけのこと)


やわらかなブルー、最上のブルー。

それは生命ある海のカラーであり、

神秘なる空のカラーであり、

母なるマリアのカラーであり、

彼方を見つめる一人の人間のカラーでもある。

だからこそ、私は深みのある色、だと思ったのかもしれないなぁ。

(ところで幼稚園の時に劇をしたときに、マリアがかぶっていたヴェールは、
私の記憶によると、白だった気がする。それって聖書と間違ってない!?)


とりあえず、ここまで。
 
 そうよね?
 そのとおり!