たまに映画、展覧会、音楽など。

2012年の終わりに

悲しい哉、
日本人は30人の海外画家を思い浮かべることはできるのに、
日本人画家で30人は答えられない。

美術の教科書を見ても、近代の日本人画家として知られているのは、
黒田清輝、浅井忠、青木繁岸田劉生、……?
近代の洋画家といえば、ゴッホゴーギャンセザンヌピカソ、ブラック、ポロックシャガール、ダリ、クレー、ミロ、マグリッド、マティスモディリアーニローランサンと、紙幅が足りなくなる。

なぜだろうか。
日本の美術は北斎で終わったのか。
その芸術観を築いたのは、
海外での評価を日本がそのまま受け入れたにすぎないように思う。
世界が認めたものを日本が取り入れ評価している
——浮世絵や草間弥生奈良美智は逆輸入——
だけだし、国内の美術館で現存の若手日本人が個展をするには、まず海外での動や評価があってからになる。
日本人が美術館で個展ができるのは、よほどの巨匠(芸術院会員や国宝などのお墨付き)か、現代アート作家か、死んだ者だけだろう。

そんな日本の美術界だから、美術界では常識でも一般にはほとんど知られていない画家は数多い。
良い絵がたくさんあるのだ。
浮世絵から200年、近現代の日本人だからこそ描ける絵が、ある。

絵画・音楽・映画・本など、“文化”というものは、必ずしも最初からすぐに夢中になれるというわけではない。
映画もかつては2時間が長いと感じたかもしれないし、本もすぐに長編が読めるとは限らない。
絵画に馴染むにはさらに時間がかかるように思う。
印象派の絵はきれいで気持ちよいから、良い絵だなと思えるかもしれない。
海外の名画は高階秀爾の『名画の見方』、
木村泰司の『名画の言い分』などに書いてある。
しかし、日本の絵画は?

で、ふと気づいた。
だったら、書いてみたい。
絵の批評や市場価値、技法を伝えるのは私の役目ではないと思う。
日本人画家の魅力を広く伝えていきたい。
その絵のどこが素晴らしいのかを、
言葉で少しでも多くの人に伝えたい。
そんなことを思うようになった。
 

パリ、ユトリロ、雪

ユトリロの「白」は、うすいブルーグレイで、
その色で表現される雪は、本物のそれよりも雪らしいような気がする。
雪だけではない。
ユトリロの描くパリの街――とりわけ建物の壁や道――は、パリよりもパリらしいと思う。
なかには、パリの街にユトリロが色をつけたのではないか、と思うくらい
絵のほうがパリらしかったりする。

パリらしさとは何か。

たとえば、壁の少し汚れた感じ、雪に少し色がついている感じ。
窓があって(その窓さえも同じ窓はない)、道の先に建物があって、空があって。
私はパリに行ったことはないけれど、パリに降る雪はこうだと分かる(気がする)。
一人ひとりが主人公というよりも街全体が芸術な感じ
ユトリロの絵は人を描いていてもそれが主題ではない)。

ユトリロは日本人が好んでいる画家の一人だという。
このギャラリーは私の勤め先から目と鼻の先。
1967年、新聞社と共に日本で初めてユトリロの展覧会を開き、
日本にこの画家の名を伝えたのは、このギャラリー。
その後、何度か回顧展をここで開いたそうだが、建物全体を囲むほどの行列ができたとか。
今の時代、行列ができる画廊なんて聞いたことがない。

モーリス・ユトリロ(1883−1955)は近代のフランス画家で、
エコールドパリには珍しいフランス人。
アルコール中毒の治療の一環として絵を描き始めたとか、ほとんど独学とか、
なんだか魅力的な画歴。
パリの風景という身近な画因でありながら静謐で詩情のある彼の作品を見ていると、
パリの冬が伝わってくるような気がする。

[
今、勤め先でちょうど創っている本(連載本を単行本化する)はフランス留学記で、
私とそう年が違わない青年がパリの美術学校で油絵の勉強をするというもの。
渡航が船という、もう何十年も前の留学話)
その原稿を読んでいると、パリはやっぱり寒いらしい。
でも芸術家がたくさんいたり、美術学校で多様な授業がおこなわれていたり、
音楽コンサートに連れていってもらったり、女の口説き方を教えてもらったり、
美術館へ行ったり、デッサンをしたり、部屋で課題の静物画を描いてみたり。
ああ、ユトリロの見たパリの風景になんだか似ている。
ユトリロはそんな風景はほとんど描くことはなく、
ひたすら建物や教会や道を描いていたのだが、空気が同じという感じ。
パリの空気、文章から見る雪と絵から見る雪が同じだ。

いつかパリに行ってみたいと思う。
ルーブル美術学校で絵画論の勉強をしてみたい。
できれば、パリの冬に。


ユトリロ展@ギャルリーためなが 12月15日まで

「リヒテンシュタイン展」(国立新美術館)

きらびやかで豪勢な予感。が、的中の当展。
そもそもリヒテンシュタイン城がこんなにもロマンチックだ。

オーストリアとスイスの間にあるこの小さな国(≒小豆島)は、
1719年に独立し、伯爵(現在は国家元首兼)がずっと国を守ってきた。
今も伯爵家が住むこの城は、実は「カリオストロの城」のモデルという話。
彼らがこの壮麗な美術コレクションを集めたという
(それが伯爵家の任務のひとつだった)。

ウィーン郊外に「夏の離宮」を立て、1807年から美術品を展示してきた。


この完璧なシンンメトリー。さすがバロック調。
しかしリヒテンシュタインも伯爵家もずっと安泰だったわけではなく、
1938年、オーストリアがドイツに併合され、戦争が悪化。
「夏の離宮」も閉じられたという。
500年かけて集めた3万点の美術品を、
(3万は、イギリスに続き世界第二位!≒小豆島なのに!)。
ナチスは国外に出すことを認可しなかったため、
言葉通り、命がけに国外に運び出したとか。
そして、66年もの時が流れ、2004年――「夏の離宮」公開。
今回はそこから選ばれた美術品が初めて海を越えて日本に来日したという。

さて、どんな展覧会だったのか。
もうとにかく、きらびやか。バロック。壮麗、華麗。
会場に入るとまず出迎えてくれる「エントランス」コーナー、続く「バロック・サロン」。
天井画、壮麗な椅子や机や鏡、彫刻、工芸品、家具、壁に架けられた大きなタスペトリー。
キャプションは一切なく、空間そのものがアート、というか華麗なる伯爵家の空間。
これは実際の「夏の離宮」の展示方法を真似ており、
バロック調の宮殿に合うように室内装飾に調和した美術品が並べられている。

さらに足を進めると、
・「リヒテンシュタイン伯爵家」
   ……歴代の宝や、伯爵の肖像画が並ぶ。
     現伯爵は、意外にも(?)イケメンだった。まさにオウジサマ。
・「名画ギャラリー」
  ……ラファエロルーベンスレンブラント、カナレット、ヴァン・ダイク。

・「クンストカンマー」(美と技の部屋)
  ……からくり酒器が面白かった。ネジをまくと、酒を入れた器(馬の形をしている)が
    動き出し、それが目の前でとまった人がその酒を飲まなければならないという、
    なんとも合コンチック、テキーラショックのような遊び物があった。
などなど、美術・工芸が並ぶ。

良かった絵を数点紹介。
ルーベンスの「クララ像」(今回のポスター絵)も確かに良かった。

しかし、当時5歳にしては上品すぎるような気もした
(彼女は12歳でこの世を去ってしまう)。

他にいいなと思ったのが、アメリング(オーストリアの宮廷画家)「夢に浸って」。


女性の横顔。
本を読んだあとなのか、映画を観たあとなのか(この時代にはないけれど)
何かにひどく心を揺さぶられたような顔。何かに心奪われたような顔。
黒いベールもまた、意味深さを誘う。こういう女性像は何かしら事情がありそうで好きだ。
フェルメールの「真珠の・・・」少女は本当に何を考えているのかわからないけれど、
この彼女は心情が伝わってきそうで、そこが良い。

この絵は最終部屋の、最後から二番目に陳列されている。
ちなみに最後の絵もアメリングの絵で、
題名「マリー・フランチェスカリヒテンシュタイン侯女2歳の肖像」。
実際の絵を見てもらいたく、ここでは絵は載せないでおきます。
ミュージアムショップでジグレー版画でもポストカードでも、一番人気を誇っていたこの絵は、
会場で初めて見るのが一番のお勧め。
この展覧会は12月23日までは六本木ですが、
1月5日から3月7日までなんと、高知県立美術館、
3月19日から6月9日までは京都市美術館で巡回。
ぜひ、御覧ください。

原田マハ『楽園のカンヴァス』

絵画は、
完全に物語を閉じ込めることができると思う。
本や映画は登場人物の趣味なり悩みなり
(子どもはいるのかとか、人生に飽き飽きしているとか)
を知ることができるけれど、
絵画は描かれている人物が何を考えているのか、
想像をめぐらせることしかできない。
その完全に閉じ込められた世界にとても惹かれる。
「映画や小説よりも写真や絵のほうが、物語として単純に完璧だ」
これは江國香織の言葉。
だから絵に激しく嫉妬もする、とも。


『楽園のカンヴァス』
この本は画家アンリ・ルソーを主人公にした物語だ。
この小説の素晴らしいところは、
一枚の絵を通して三つの物語を描いているところだと思う。
絵を描く者の物語、絵を守る者の物語、
絵を伝える者の物語。
その三つのどれもがルソーの世界に満ちていて、
どこへ行っても、あの密林から、あの濃い緑色から逃れられない。
皆、ルソーの絵を称え、自分にとってのアートを必死に守ろうとする。


「アートを理解するということは、この世界を理解するということ。
アートを愛するということは、この世界を愛するということ。」

この文を読んだとき、初めて絵画を見る意味を
知ったような気持ちだった。

アンリ・ルソー「夢」


物語の中心となる、ルソーの大作「夢」(1910年)。
まあるい不気味な月、見開いた目のライオン、
楽器を吹く肌の黒い男、草木から覗くゾウや鳥や蛇。
極彩色のジャングル。
その蔦の太さ!草花の平面的構図!

そして、なめらかな肢体の女。
描かれている女は、このジャングルの女神であり、
ルソーの女神なんだろう。
ある意味ではこの本の女神。
愛とか恋とはまた別の意味での女神。
二人だけにしか分からない密な世界。
この絵にはそれがある。

誰かの女神になるということ、
誰かを女神として何かを創りだすということ……。
そのことに私はとても憧れるし、
それがまたひとつの絵画なり小説なりを生み出すのだと気づく。

絵は描けないけれど、
いつかこんなアートを書いてみたいと、夢を見る。

『楽園のカンヴァス』原田マハ

安倍龍太郎 『等伯』

等伯
ーー安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の画物語。

戦国時代。嵐のような時代。
その時を駆け抜けた絵師の中で、
政(まつり)事と関わらずに
名を残した者がいるだろうか。

時代を代表する狩野永徳
力強い筆致で信長の肖像画を描いたが、
のちに秀吉の命令によって
暗い絵に描き直させられている。
一度は完成した絵の描き直しをすることは
絵師にとって屈辱的。
それが権力誇示のためなら、なおさらである。
そんな風に時代に翻弄されながら
永徳も今に名を残した。

この小説の主人公・等伯も然り。
永徳に仕事を横取りされたり、
仕事をとるために幕府に掛け合ったり。
能登から上京した等伯が長谷川派を築くために
手放したものは数知れない。
それでも「松林図」が描けたのは、
名を残したいという気持ちだけではなく、
描く事へのひたむきさがあったからだと思う。

そして……
そのひたむきさを持ち続けることが出来たのは、
等伯が心の師として慕った、利休の存在がある。

秀吉と三成によって自害させられる直前、
利休が等伯にこう語る。

「わしには茶の湯の門、お前には絵師の門がある。門の外のことは仕方がないが、内側は自分の世界や。命をかけて守らんでどうする」

自らの手で切り開いてきたことへの誇り、
一切の妥協を許さないプライド、
命代えてまで守り通したい自分の世界。

そんな利休の生き様を見届けたからこそ、
等伯は「松林図」を描けた。


利休だけではない。
あの絵を描くことができた等伯は、
両親、養父母、妻、兄、息子、
敵対していた永徳など、
亡き者たちを背中に背負っていた。

***
「生き残った者にできるのは、死んだ者を背負って生きることだけや。(中略)わしが死んだと聞いたなら」
利休は文机につくなり等白と書いた。
「白は無の境地ということや。これからは死んだ者を背負ったまま、そこに向かっていけ」
そう言うなり白の字に人偏を加えた。等伯という名乗りは、この遺訓に従ったものだった。
(本文より)
***

人は一人では生きていけないという。
それは、「支えあい」という意味だけではなく、
自分が背負うべき人々がいるという意味。

誰の過去にもあるだろう、
傷つけてしまった人、別れてきた人、
去った土地、手放してきたもの。
利休はそれを背負えと説いた。

踏みにじるでもなく、逃げるでもなく、
罪悪感に苛まれ続けるのでもなく、
向き合い、背負っていく。
それが何よりの供養であり、礼儀だと。

「松林図」は、400年を背負い、それを今を生きる私たちに伝えてくれる。

……とここまで書いて、ふと、
背中の重みって何だろう、と。
それは他人ではなく、実は自分の重さ?
実は自分で決めた重さ?
重みが日々変わっていく私にはまだわからない、
他人の重さ。存在の軽さ。
耐えきれないほどの軽さに押し潰されそうになりながら、背負おうとしてみたり、置いてきてみたり。

「シャルダン展」(三菱一号館記念美術館)

シャルダンが生きた18世紀フランスというのは一言で言えば“ロココ
――雅宴(フェート・ギャラント)――の時代。
浮かんでくるのはフラゴナール、ヴァトー、ラ・トゥール、プーシェ……
華やかな貴族風俗画、恋愛画が宮殿の壁を飾った画家たち。
フラゴナールの「逢びき」「ぶらんこ」
プーシェの「水浴のディアナ」などがこの時代の代表作だ。


フラゴナール「逢びき」)

さて、今回のシャルダン
驚いた。
彼らのような絵ではなかった。
フラゴナールのような霞がかった淡い色遣いではなく、
もっとしっかりした色で、むしろレアリスムやバルビゾン派に近かった。


1. 
絵というものは不思議なもので、
「一枚」にはその“一瞬”しか描けないのにもかかわらず、
そこから溢れるようにいろいろなものが物語られている。
ミレーの「落穂拾い」然り、
コローの描く「フォンテーヌブロー」然り、
モネの描く「睡蓮」然り。
(モネの絵は時の移ろいを一枚に描ききっている。
私が絵を好きになったのは、小説を読むように絵を読めると知ったから)。

勿論そうではない絵もある。
セザンヌのりんご、ピカソの女、ゴッホのひまわり……
彼らの絵は物語るというより圧倒的な画力であたりを払いのけ、
オーラを放つ。
「感情で絵を描くんだ」
「絵は理屈じゃない」
こんな言葉はそういった彼らの間で言われている理だ。
対象を自分の感性を通して表現する彼らにとって、
色は感情表現のひとつに過ぎない。

シャルダンはこのどちらにも当てはまらない。
ただひたすらモチーフを描き続ける。
人であれ、果物であれ、食器であれ。
ヴェニタスもなく、貴族の肖像でもなく、歴史画でもない。
ミルクが注がれる瞬間、祈りの儀式が始まる瞬間……、
そんな絵のふくらみがない。
観る者が唖然とするほど、“動かない絵”なのだ。 

新鮮な感覚だった。
ただただ、その絵と無心になって向き合えばいいのだ。
すると、絵本来の姿が見えてくる。
たとえば、異なるモチーフだと同じ色でも違う色味が出てくるということ。
支持体(板、キャンバスなど)の違いによる色彩の変化。
光の反射による色の違い……。
絵にあるメッセージや歴史背景ではなく、絵そのもの情報を読み解く。
絵そのものの魅力と改めて向き合うことができる。
近代になって再評価されたシャルダンの良さ、とはそんな純粋性にあるのだろう。


2. 
そうして展覧会をみてうちに、絵の変化に気づいた。
対象を細かく正確に描かなくなるのだ。
おそらく彼自身、「綿密に描くこと」から
「存在感(空気感)を描くこと」へと変化していったのだろう。
絵具を塗り重ねることで質感を出すのではなく、
柔らかい色を薄く塗り、
ぼんやりとした背景からモチーフを浮かび上がらせる……。
そうして描かれた静寂が、
ありきたりな生活用品がこんなにも情緒ある絵にしている。

では、代わりに描かれた「存在感(空気感)」とは何か。

たとえば、「木いちごの籠」。

桃の丸み、プラムの赤さ、
籠の質感、テーブルの木目のあたたかさ、
ことごとくが絵として納まっている。
積まれた木いちごの重みといい、ガラスの水といい、
シェルダンらしい沈黙。
そして何より、光を受けているかのように浮かび上がる、
見事な木いちごの存在感。

しかし、近づいてみると、いちごではない。
赤いまるに、妙な黒ずみ、
偶然つけてしまったかのような白い絵具がのっかっているだけ。

それが絵から程よく離れて観ると「いちご」になっているのだ。
この絵を観たときに、
絵具がきちんとキャンバスにくっついているみたいだ、と思った。
良くない絵は、キャンバスの上に絵具がのっかっているだけだ。
しかしこの絵は違う。絵具を使いこなし、絵になっている。
改めて思う。絵は不思議だ。だけど、きっと、絵はかくありき。


3. 
話は変わって、とある画家のアトリエの話を少し。
彼もシャルダン同様、
ただひたすらに静物画を描き続ける画家で、
ガラス器やりんご、空のワインボトルなど――
を、時が止まったような沈黙とともに――描く。

先日、とある展覧会でりんごの絵を出品していた。
アラベスク模様の布の上にりんごが五個。
横からではなく、真上から描いているという少し変わった構図だった。
(りんごを真上から描く絵を今まで観たことがなかった)。
赤いりんごの艶っぽさ、五個のりんごの絶妙な配置、
布の質感が見事だった。

彼のアトリエに行ったのは夕方遅く。
太陽光が入らないように完全に目張りされ、妙に薄暗い。
華やかな絵とは対照的なその暗さに正直驚いた。
筆と絵具、キャンバスとモチーフが所狭くひしめいている。
画集が積まれ、描きかけの下絵がちらばり、
展覧会の案内状、手紙、美術館のチケットがテーブルの上に置かれている。

そして部屋の一番奥にモチーフを置いた一角があった。
一面、白い布が張られ、展覧会で陳列してあった絵そのままの世界があった。
まるで絵からそのまま抜け出してきたかのように。

あの絵はこんな空間で生まれてきたのか。
ここでどのくらいの間、描かれたのだろう。
どのくらい濃い時間を画家と過ごしたのだろう。
そんなことに頭をめぐらせていたとき、
「このりんご、あげるよ」
と、その画家がモチーフに使ったうちのりんごを二個、ひょいととって、
私に手渡してくれた。

その瞬間、絵の世界が崩れてしまった。
私の手にあるりんごは、もうあの絵にあるりんごではなく、
ただの赤くて大きい、りんごだった。
私は、何も言えなかった。

語り夜ver.1 『物語に彩りを  第五章』 

  

  物語に彩りを   


    第五章 71年間、塗り重ねられた色


 長い話になりました。おや、もうすっかり日が暮れてしまった。
 一段とまた冷え込みましたな。
 ピートが暖炉の前で眠り込んでしまいましたね。
 御老人、せっかく来ていただいたのに、こちらが話してばかりで申し訳ない。
 よかったら夕食でも一緒にいかがですか。

 ああ、そうでした。
 その絵、見せていただけますか?
 御老人はいつから絵をなさっているのですか?
 ほう、女性のデッサン画ですか。技術卓越でいらっしゃる。
 少し下を向いて微笑んでいる表情、
 優しげで母のようなあたたかさ、穏やかさ。
 デッサンなのに、どこか色があるような描き方ですな。
 御老人、この絵は一体…?もしや、あなたのお名前は―…?                 




***


 これで、この物語はおしまいのはずでした。
 ですが、書き終えてから早二ヶ月。
 
 パウルがどんな人生を過ごしてきたのか?
 今回はその部分を敢えて伏せて書いたのですが、やっぱり知りたい。
 
 今回は5章まででしたが、
 次の章からはパウルが語り始めなくちゃならないような気がしています。
 いつか、書きたいなあと思います。

 
Special Thanks 
    自由気ままな文章を指南してくれた雨情な師匠、その仲間たち
      提出前夜に一緒にいてくれた友人
         ありがとう。
 
 
 そして、こんなしょーもない小さな物語ですが、
 
    クラクフで出会った、ピアスの似合う女性だった画家と、その息子に。