たまに映画、展覧会、音楽など。

原田マハ『楽園のカンヴァス』

絵画は、
完全に物語を閉じ込めることができると思う。
本や映画は登場人物の趣味なり悩みなり
(子どもはいるのかとか、人生に飽き飽きしているとか)
を知ることができるけれど、
絵画は描かれている人物が何を考えているのか、
想像をめぐらせることしかできない。
その完全に閉じ込められた世界にとても惹かれる。
「映画や小説よりも写真や絵のほうが、物語として単純に完璧だ」
これは江國香織の言葉。
だから絵に激しく嫉妬もする、とも。


『楽園のカンヴァス』
この本は画家アンリ・ルソーを主人公にした物語だ。
この小説の素晴らしいところは、
一枚の絵を通して三つの物語を描いているところだと思う。
絵を描く者の物語、絵を守る者の物語、
絵を伝える者の物語。
その三つのどれもがルソーの世界に満ちていて、
どこへ行っても、あの密林から、あの濃い緑色から逃れられない。
皆、ルソーの絵を称え、自分にとってのアートを必死に守ろうとする。


「アートを理解するということは、この世界を理解するということ。
アートを愛するということは、この世界を愛するということ。」

この文を読んだとき、初めて絵画を見る意味を
知ったような気持ちだった。

アンリ・ルソー「夢」


物語の中心となる、ルソーの大作「夢」(1910年)。
まあるい不気味な月、見開いた目のライオン、
楽器を吹く肌の黒い男、草木から覗くゾウや鳥や蛇。
極彩色のジャングル。
その蔦の太さ!草花の平面的構図!

そして、なめらかな肢体の女。
描かれている女は、このジャングルの女神であり、
ルソーの女神なんだろう。
ある意味ではこの本の女神。
愛とか恋とはまた別の意味での女神。
二人だけにしか分からない密な世界。
この絵にはそれがある。

誰かの女神になるということ、
誰かを女神として何かを創りだすということ……。
そのことに私はとても憧れるし、
それがまたひとつの絵画なり小説なりを生み出すのだと気づく。

絵は描けないけれど、
いつかこんなアートを書いてみたいと、夢を見る。

『楽園のカンヴァス』原田マハ