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たまに映画、展覧会、音楽など。

江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』

 

なかなか暮れない夏の夕暮れ

なかなか暮れない夏の夕暮れ

 

 海外のサスペンス小説にのめり込んでいる中年男性の小説。

と書いてしまうと何だか渋いような気がしてしまうけれど、その中年男性は、結婚はしていないものの認知している子どもがいて、家の財産管理だけで生計が成り立ってしまうほどのお金持ちで、時間さえあれば本を読んでいるという人なのである。と書いてしまうと、社会から逸脱している人のような気がしてしまうけれど、事実そうである。お金と時間をもてあましている人の物語。だから、物語はもちろん何か大きな出来事など起こらず、淡々と進む。江國香織の本が好きな人が求める世界の静けさと文章がひたすらに続く。

 江國香織の著作のなかで今回特筆すべきなのは、主人公が読む小説と、物語の世界が交互に出てくる点。普段江國が書くことのない、サスペンス(拳銃、暗殺、謎、スパイ……)

が登場する。当然文体も異なるのだが、本物のサスペンス小説とはならず、おそらく江國さん自身もそれを面白く読ませようとしているわけではなく、だからこそ少し残念なことに、読みにくさが出てきてしまっている。もともと、最近の著作では、平仮名ばかりの章があったり、複数の語り手を登場させたりと読みにくさあって然りのものが多く、おそらくそのあたりは論点ではないのだろう。

主人公の読む小説の世界と、現実(本来の小説)の世界との切り替えが、ぱちっ、ぱちっ、と急に切り替わっていくのが面白い。その切り替えは基本的に一行空けるのが原則なのに、ラストになるとその一行空きがなくなり、(主人公にとって)切り替えがだんだんと難しくなっていっているのが分かる。自分の身体を読んでいる本のなかに置いてきてしまったような感覚。誰もが感じたことのあるその感覚を、文章で表現したのが今作なのだと思う。

 

 本好きな主人公以外に、何人か本を読む人物が登場する。次の文章は、雀(主人公の姉、中年)、波十(主人公の子ども、小学生)が部屋に遊びに来た場面。

 

 部屋のなかが随分静かなことに気づき、見ると雀と波十も本を読んでいた。ソファの端と端に離れて坐り、どちらも真剣な表情で。刃物で削いだような姉の頬と、ふっくらした娘の頬、白髪まじりのおかっぱ頭と、黒々としたショートカットの、前髪がピンで留められた頭。(中略)どちらも本から顔をあげない。稔には、自分だけ本の外にいることが不当に──というか、ほとんど疎外されているようで淋しく──感じられ、抗いきれずに寝椅子に──そしてモーナとアンナのいるオスロに──戻る。(202、203頁)

 

 この波十という少女は、江國香織お得意の「大人っぽい子ども」で、本ばかり読んでいて、自分の父親らしい主人公と、母の再婚相手という父親の2人がいても動じることなく、自分を貫くその姿勢がいかにも江國さんの登場する少女らしくて好感をもった。もう少し大きくなると『綿菓子』の主人公の女の子になるかのよう。この子も本ばかり読んでいる。

 どこに行くにも本が鞄のなかにあるという人、読みかけの本がないと心が澱んでしまうという人、移動や待ち時間に本を読んでしまうという人、そういう人が頻繁に遭遇する小説と現実との行き来を表した小説。自分もそうかも、という人はきっと共感できるはず。